葛城二十八宿には、「役行者が法華経を28箇所の経塚に配分した」と、高貴寺(大阪府河南町)に伝わる『河内高貴寺縁起』(1314年)や槇尾山施福寺(大阪府和泉市)の『巻尾山縁起證文等之事』(1360年)に記されている。『法華経』は、日蓮が独自の解釈を施して日蓮宗を創設したことで有名だが、聖徳太子がすでに『法華経』の注釈書を書き、最澄も『法華経』をもとに天台法華宗を開いており、「諸経の王」とも言われている。そうして、『法華経』の埋納は、平安時代の末法思想の影響を受けて盛んになったようである。
『法華経』は二十八品(ほん)から構成されており、例えば、第1章は「序品(じょほん)」、第2章は「方便品(ほうべんぼん)」、第3章は「譬喩品(ひゆほん)」というふうに続く。現在、友ヶ島(和歌山市加太)に始まり大和川の亀ノ瀬(奈良県三郷町)まで、28ヶ所の経塚が伝わるが、その位置に異説も多い。
行者たちは、これらの経塚を巡り「山林抖擻(とそう)」を行う。その際、祈願文・年月日・修験派名を記した木札“碑伝(ひで)”を奉納する。経塚の目印になるもとしては、石や木で作った堅牢な祠が施されたところもあれば、宿銘の彫られた自然石だけが立っているものもある。また、土や自然石が盛られただけでどこか経塚か曖昧なものもあり、先達の導きが不可欠となる。
このような「葛城修験」の経塚や行場、宿跡などは、今なお各地の里人とともに守り伝えられており、令和2年6月19日『「葛城修験」−里人とともに守り伝える修験道はじまりの地』が文化庁の日本遺産に認定された。
この記録は、金剛山転法輪寺葛城修験司講の葛城峯中二十八宿巡拝修行に随行すると共に、『葛城の峰と修験の道』中野榮治・著を参考文献とし
ながら、自らも山林抖擻に臨んだものである。 |