● 【葛城二十八宿】第五経塚「妙経薬草喩品」(やくそうゆほん)

【日本遺産】第五経塚(倉谷山)

【妙経薬草喩品第五】 ※要約
 「長者窮子の譬え」を聞いた釈尊は、その通りだという意味を込めて「薬草の譬え」を迦葉に説く。同一の雲から放たれた同一の雨水によって、植物はそれぞれの種類の種子に応じて生長し、花と実を付け、それぞれに様々な名前を得る。しかも、それらはすべて同一の大地に生え、同一の雨水によって潤されるのである。

【日本遺産】 葛城修験(構成文化財)
 倉谷山(第五経塚) / 根來寺

 『葛城峯中記』によると、桜地蔵の第四経塚からは、根来の炎明寺(円明寺)や豊福寺に至り、そこから鴛川(押川)経由で上朽佛(土仏峠)、今畑、中畑と巡行している。興味深いのは、「炎明寺 薬艸喩品第五」と記されており、その著者鎮永(室町初期)の頃は、炎明寺(円明寺/根来寺伽藍内)に第五経塚があり、その後、現在の第五経塚である倉谷山に移ったようだ。
 1114年(永久2)、覚鑁(かくばん)上人は高野山初参し、後に、鳥羽上皇の庇護を受け、根来近郊の荘園と豊福寺を賜った。この地域には、豊福長者が建てた葛城山系の山岳信仰をおこなう草庵もあり、上人は、その豊福寺(ぶふくじ)境内に、学問所として「円明寺」と「神宮寺」を建てたのが1143年。その年、覚鑁上人は円明寺にて49歳で入滅するが、以後の1205年頃までに、「根来寺」という呼称が定着したという。『葛城峯中記』を記した鎮永(1394〜1427)の頃には、既に、高野山上の大伝法院の活動が根来に移され(1288年)、大伽藍が整いつつあったと想像できる。(根来寺HPより抜粋)
 桜地蔵の第四経塚から円明寺や豊福寺(現根来寺)へは、境谷からカジロ峠を越えるルートや狼谷から郷ノ峠を経るルートなどが考えられる。根来に出てきた辺りには紀泉台の住宅地があり、京奈和自動車道の岩出根来ICもできて、すっかり様変わりしてしまった。そこから根来寺至る往時のルートはよく見えてこないが、自動車道を進むと最短で到着する。隆盛を極めた頃の根来寺は、現在入山料の必要な境内だけだはなく、もっと大きな伽藍だったわけで、円明寺は少し西の車道沿いに静かに鎮座している。また、豊福寺は境内の行者堂あたりにあったようだ。

 現在、根来寺から第五経塚の倉谷山へは、和歌山県植物公園緑花センターに向かって車道を進むと、少し手前で左折し、根来山げんきの森に向かって登っていく。根来寺周辺の山々にはヤマザクラが多く、3月中旬頃から咲き始め見事な桜山となる。根来山げんきの森には行かず、北進するとやがて車道の土仏峠に至る。倉谷山へは、その500mほど手前右手に登山口がある。そこから三角点492.4mの土仏峠を経て、尾根伝いに倉石山へ通ずる。
 一方、『葛城峯中記』には、根来寺から鴛川(押川)に赴いたとあるものの、現在、根来寺から押川まで直進するルートを分け入るの難しく、途中、採石場に阻まれている。したがって、押川へは、県道63号線の風吹峠北側より車道を入る。押川の集落の入口には、萬福寺と日吉神社がある。萬福寺は、根来寺の末寺で新義真言宗の寺院で、近年、新築されたのだろうか、スレート瓦の寄せ棟造り。日吉神社の祭神は山王権現、九頭明神、八王子神で、「明和二年(1765年)九月」の銘の石鳥居がある。
 集落の真ん中を通る車道を進むと、やがて、右手に川へ下りる案内板がある。修験の行場であった「鴛淵」を示していると思われるが、平坦な草地に、「大願主定堅/建徳二年(1371年)霜月廿四日」の銘のある石碑が立つ。ここで護摩が焚かれたのだろうか。『紀伊国名所図会』1811年(文化8)によると、「毎年大晦日に、鴛鴦渕に鴛鴦がやって来て越年する」とあるが、現在、この付近にはそうした淵は見あたらない。もう少し上流に進むと、常緑樹が覆い被さる渓流に滝の流れやそれらしい淵もあるが、見当をつけることができなかった。また、先の図絵の中には、「亀石」と示されている。村のご高齢の方に尋ねると、道路沿いに「亀石」と呼んでいる大きな石があったが、道路整備の際、移動させられ行方は知らないということだった。この川に沿った林道をさらに進み、土仏峠をめざす。

 
『紀伊国名所図会』押川より。風吹峠の場所が、現在とは真逆である。
 
円明寺   【日本遺産】根来寺行者堂
 
日吉神社(押川)   萬福寺(押川)
 
鴛淵付近の石柱   左石柱の裏面に「建徳二年(1371年)」の銘
 
鴛淵の名にふさわしい淵はなく、ここであっているのか。   押川から土仏峠をめざす

 和歌山県植物公園緑花センター方面から上ってきた車道上に、「土仏峠」の表示がある。しかし、国土地理院の地形図上の「土仏峠」は、標高492.4の三角点で、そこから北東に伸びる尾根伝いに進む。『紀伊国名所図会』によると、「弘法大師が葛城修行の際、この山の土を使って自像を作ったことから土仏という」と記している。ちなみに、三角点「土仏峠」への登山口は、車道脇にあるもののとても分かりづらい。また、そこから先も枝道がいくつかあり、地図をよく見て進みたい。
 三角点「土仏峠」を無事通過できれば、あとは尾根伝いに約30分で倉谷山の第五経塚 に到着できる。倉谷山山頂は、経塚からさらに東へ数百メートルの三角点440.4mである。経塚がある場所は、平坦で和泉砂岩の石祠と、経塚には少ない石灯籠もみられる。この辺りは「稚児ヶ墓(兒留)」という名が古由来はよく分からない。第五経塚の200mほど手前に、今畑へ下る分岐路があり、かつての行者たちはそこを使ったという。登山道としては、倉谷山から中畑峠を経て池田隧道北口に至る ルートがよく使われている。

 
車道の土仏峠   三角点土仏峠に至る登山道の進入路(右手に踏跡)
 
三角点土仏峠   倉谷山に至るやせ尾根
 
【日本遺産】第五経塚   【日本遺産】根来寺大伝法堂