紀伊山地を遊び場にしていると、西行(1118-1190年)さんによく出会う。吉野山、大峰奥駈、高野山、天野、熊野などなど。よく出会うといっても、平安末期の歌人が残した歌を刻んだ歌碑だとかその昔結んだ庵跡など、かすかな足跡にすぎない。
そうした残像も、これまでは私の意識の中に留まらずスルーしてきたが、ある時、佐藤義教という北面の武士の存在を知った。なんでも平清盛と
同い年で同じ釜の飯を食っていたエリート武士集団の一人。あと、かの待賢門院と恋に落ちたとかどうとか。出家後の義教は
円位あるいは西行と名乗り、全国を行脚する。各地で逗留することも多く、
とりわけ吉野の桜への思いは尋常でない。吉野山から面々とつながる大峰奥駈にも、二度チャレンジしている。歌人としても秀で藤原定家と対比されることも多いが、かの芭蕉も西行の足跡を訪ねるなかで『奥の細道』を著したとか。
彼の足跡を知れば知るほど人間としての面白さや魅力が増し、いつしか彼の人となりや行動を詳しく追いかけたくなった。短歌や俳句の素養がない私にとって、西行の歌はとても難解で、追体験にも苦労するが、とりあえず『山家集』を持って800余年後のその場に立つ。
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