千手の滝   馬頭の滝

三重のたきををがみけるにことにたうとくおぼえて、三業のつみもすゝがるゝこゝちしければ、
 仏教では、身業・口業・意業をあわせて「三業(さんごう)」といい、人の行いがすべて含まれる。西行は「三重」と「三業」を重ねながら、「三重(みかさね)の滝」を前に我が身の行いがすべて清浄化されるような気持ちになったと言う。前鬼山からほど近くに、日本の滝百選にも選ばれている「不動七重の滝」という名瀑もあり、文献状の記述はないが、おそらく西行はこちらも訪れたことだろう。轟々と水柱を作る水量豊かなこの滝ではなく、山襞にひっそり鎮座する「三重の滝」こそ西行の心をとらえた。先達に導かれての修行中ゆえ、75の靡(当時は120ほどあったとも言われている)を巡礼することが課せられた修業ゆえか、大峰修験中の西行の歌は、多く靡で歌われている。「三重の滝」は28番靡、しかも先達に導かれないとなかなかたどり着けない行場という神聖さも漂う。

 「三重の滝」へは、閼伽坂峠(あかさかとうげ)を経てまず「垢離取場(こりとりば)」をめざす。ここで修験者たちは水行を行い身を浄める。エメラルド・グリーンと化した大きな渕に身を沈めると、「三業のつみ」のまず「身業のつみ」が洗われたような気になる。川を渡って山道を歩くこと半時間、今も昔も、ヤマヒルに悩まされながら「千手(せんじゅ)の滝」が見え隠れしてきた。現在は、立派な鉄製の階段がとりつけられているが、そうでもないとロープなしでは降りれない断崖である。こんな谷間で落差50mの名瀑に出会ったとすると、多くの人の口は言葉を失うだろう。今度は、「口業のつみ」がとれた。この滝のすぐ下流に「不動の滝」の落ち口があり、足下の安全を十分に確保すれば、落差60mの滝を真上から覗くことができる。
 千手の滝の右手を登ると、この滝の中腹あたりにテラスが現れる。大小2つの窟があり、それぞれ「胎蔵界窟(たいぞうかいくつ)」「金剛界窟(こんごうかいくつ)」と名付けられている。滝に近い胎蔵界窟には、柄の長い杓子が置かれ千手の滝の聖水を掬うことができる。大峰の行場に不慣れな人や熟練者の同行がない場合は、ここで引き返すのが賢明だろう。西行の足なら、ここから先も軽やかだったと思うが。
 次に現れるのが、切り立った崖を横切る「屏風の横駈(びょうぶのよこがけ)」(別名:蟻の門渡り)。この断崖に30pほどの幅で落ち葉が積もり道ができている。渡りきった安堵感に落ち着くまもなく、今度は高さ20mほどの垂直な岩場が立ちはだかる。金属製の鎖が2本垂れ下がっているが、そのうちの1本は、前鬼不動坊の別当が1846年(弘化3)に寄進したものであることが、取り付けられた金属板の銘からわかる。この「裏」行場最大の難関で、「天の二十八宿(しゅく)」と名付けられている。こうして、一番上流に位置する「馬頭の滝(ばとうのたき)」にやっと行き着いた。これで「三重の滝」踏破。3つの滝の中では一番やせた水流だが、落差は45m。この滝のすぐ下流には先ほどの千手の滝の落ち口があり、まさに三重連の滝である。ここまで来ると心地よいトランス状態に酔いながら、西行はやっぱりここまで登ってきたなと悟る。そして、最後の「意業のつみ」を落とす。

身につもる ことばのつみも あらはれて 心すみぬる みかさねのたき
(『山家集』1118)

 

 「ことばのつみ」とは、三業のうち「口業のつみ」があてはまる。したがって、口をついて出てくる悪業なら、妄語・両舌・悪口・綺語となるが、西行の場合、罪な歌も作ったということだろうか。言葉は形に残らなくとも、西行の歌ならば、この時代のちょっとした有名人として、多くの人の目にとまったにちがいない。
 あるいは俗人っぽく、西行にも妄語・両舌・悪口・綺語の癖があったのか。出家したとはいえ、北面の武士という武勇のエリート集団の出身で、加えて秀でた文才を持ち合わせていた。そうした人として、男としての魅力は、僧形の衣で覆い隠そうにも、未だほとばしるものがあったのだろう。恋に心動かす人間らしさは失っていなかったとすれば、「口業のつみ」に対する想像は面白くなってきた。

   
   
垢離取場    
 
胎蔵界窟   天の二十八宿