2015年10月24日(土)、関東・関西に「木枯らし1号」が吹いた。その夜、私は、大峰奥駈の「深仙(じんせん)の宿」にいた。ここは第38番目の靡で、北には釈迦ヶ岳(1799m)、南には大日岳(1521m)がそびえ、その鞍部が「深仙の宿」である。西行がここで詠んだという歌が3句残っているが、すべて月の歌である。その時期としては秋の峰入りとされている。例年なら1ヶ月以内には初冠雪も見られ厳しい冬山の到来であることから、私が選んだこの時期もそう遠く外れてはいないだろう。
大みねの神仙と申す所にて月をみてよみける
ふかき山に すみける月を 見ざりせば 思ひ出もなき 我が身ならまし
(『山家集』1191)
実は、9月の初秋にもここ「深仙の宿」を訪れたが、カワチブシ(トリカブト科)が紫の花をつけマルハナバチが忙しく蜜を集めている、そんな穏やか日和だった。ここには灌頂堂があって、お堂の中には役行者らをお祀りしていて、本山派の修験では最も大切な伝法潅頂の儀式が行われる聖地でもある。四天石の方へ進むと、「天のへそ」から流れ出していると言う「香精水(こうしょうすい)」が岩間から落ちている。潅頂の儀式の際、師匠が弟子の頭にかける霊水としてこの水を使うそうだが、大峰山中を歩く登山客は、こんなありがたい水を水筒に補給し、文字通り力水としている。
この日、澄み切った秋の青空に恵まれ、夕方5時頃にはすでに西の空に白い月がのぼる。月齢は11.5歳あたりか。月を愛でるのに、南中して高々と光り輝く月よりも、空の色・月の色が刻々と変化し、目線の仰角も小さい夕刻のものが美しいと思う。空色が漆黒に閉ざされるまでに、いったい何十色の変化が楽しめるだろうか。
みねのうへも おなじ月こそ てらすらめ 所がらなる あはれなるべし
(『山家集』1192)
私の場合、十津川の旭登山口から釈迦ヶ岳を目指して2時間弱で「深仙の宿」にとりついたが、西行は吉野山から逆峰で尾根筋を歩き、何日もかけてここにたどり着いている。私は、ゴアテックスの登山靴に羽毛のシュラフ、ガスバーナーにコッフェルを持ち込み、食料は即席麺にアルファ米の携帯食、さらに缶ビールまでの持参だから、肉体の心地よい疲労を除けばたいした辛苦を伴っていない。
しかし西行の歩いた平安時代末期なら、麻か綿の衣をまとい、足元はせいぜい足袋に草履のようなものだろうか。もちうるだけの玄米を調理するにも、雨風の下、火をおこさなければならない。夜露はどうやってしのいのだろう。ここ大峰山中には、「窟(いわや)」と称して、ぽっかりと口が開いたような岩肌がところどころにあり、そこに天幕や木の枝などを使って風雨をしのいだのかもしれない。暖をとり獣を遠ざけるためにも、一晩中火は絶やさなかったことも考えられる。
こうした時代の大峰入りに加えて、西行が師と仰ぎついた先達宗南坊行宗は、修行中「鬼」と化した。『古今著聞集』によると、西行の修験者としての未熟さや不安をすべて理解し快く迎え入れたはずの宗南坊は、 |