● 【葛城二十八宿】第八経塚「妙経五百弟子受記品」(ごひゃくでしじゅきほん)

行者の滝(犬鳴山)

【 妙経五百弟子受記品第八】  ※要約
  富楼那に対して授記がなされた。「富楼那は、声聞のふりをし、周りにそう思わせることで、無量の衆生に利益を与え、無量の衆生をこの上なく正しい完全な悟りに向けて成熟させた。」富楼那は菩薩なのである。
声聞たちは、自分たちが理解したことを、「衣裏珠の譬え」で語った。

【日本遺産】 葛城修験(構成文化財)
 犬鳴山七宝瀧寺鈴杵ヶ嶽(第八経塚) / 犬鳴山(七宝瀧寺) / 行者の滝を含む7つの滝
 七宝瀧寺修験会館の葛嶺雑記

 犬鳴山は、斉明天皇7年(661年)に、役行者が開基したとされ、その際、出現した倶利伽羅大龍不動明王を、七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)の本尊にしたという。また、大峰山より6年早く開山したので、「元山上」とも呼ばれている。
 1872年(明治5)、廃仏毀釈と共に修験道が禁止されるが、明治後期には再興し、以後、修験道は再編された。ここ犬鳴山は、1950年(昭和25)に、新たに真言宗犬鳴派を公唱し、 七宝瀧寺を中心に葛城修験道の根本道場として現在に至っている。 葛城修験と言えば、葛城二十八宿の経塚を巡礼する修行がよく知られているが、犬鳴山内にも、行者の滝を初めとする七つの滝や表行場・裏行場など での修行が盛んで、広く信仰を集めてきた。
 1849年(嘉永2)、七宝龍寺の智航が記した峯中記である『葛嶺雑記』が、日本遺産となっている。

 倉石山の第五経塚から今畑・中畑を経由してきた行者たちは、行場や宿泊地として、犬鳴山に立ち寄ったと思われる。第八経塚のある燈明ヶ岳へは、身代不動前広場の右奥にその登山口があり、標高差300mの急坂を登れば到達でき る。現在はこのルートが一般的であるが、経塚の番号順を重んじるなら、七宝龍寺から第八経塚には取り付かず、再び神通に引き返して、第六経塚の志野峠、そして、第七経塚のアラレの宿を経て、第八経塚の燈明ヶ岳に至ったと も考えられる。

 
車止めから犬鳴川に沿って歩く   犬鳴山内の行場
 
両界滝   塔ノ滝
 
義犬の墓   表行場入口
 
布引滝   弁天之滝

  神通温泉からハイランドパーク粉河に通じる紀泉高原スカイラインの途上に、大天井ヶ岳を経て燈明ヶ岳に至る山道の登山口があ る。この先の燈明ヶ岳は、第十二経塚付近にある燈明岳と区別するために、「西ノ燈明ヶ岳」とも呼ばれ、第十二経塚の方の「東ノ燈明岳」と 区別している。この登山口からは、大阪府と和歌山県の県(府)境に沿った尾根道を歩くが、2018年の台風第21号の傷跡だろうか、針葉樹林の大量の倒木が登山道を阻んでいる。倒木の向こうにそびえ立つ大天井ヶ岳のピークに ようやく到達すると、そこから先は、台風の被害もなく歩きやすい。
 国土地理院地形図では、「燈明ヶ岳」は水準点558m付近を示しているが、この表記がなんとも悩ましい。水準点558mのピークは「天狗岳」と よばれ、ユニークな面立ちをした烏天狗の石像が立っている。一方、第八経塚妙経五百弟子受記品のある場所は「経塚権現山」と言われており、石の祠と板碑が立っている 。経塚は石祠の方である。さらに、経塚権現山の北に、七宝瀧寺奥の院として倶利伽羅不動明王を祀る石の祠と鳥居、そして、護摩壇もある。ここから東に向けて展望が開け、大阪湾や関空を望むことができる。
 『和泉名所図会(第4巻)』(寛政8年・1796年刊)によると、「燈明嶽 当山の絶頂をいふ。西の海面を闇夜に渡海の船、方角を失ふの時、当山の不動尊を念する時、此峰に燈明輝くといふ」とある。 その昔、 燈明ヶ岳の山頂は、大阪湾を航行する船にとって現在地を確認するための目印にもなったはずで、倶利伽羅不動明王の祀られるこの断崖から経塚権現山にかけての山容こそが、「燈明ヶ岳」ではないかと推察する。

 
台風26号の傷跡(前方は大天井ヶ岳)   大天井ヶ岳
 
天狗岳   第八経塚(経塚権現山)
 
七宝瀧寺奥の院倶利伽羅不動明王   大阪湾を望む