● 【葛城二十八宿】第二十八経塚「妙経普賢菩薩勧発品」(ふげんぼさつかんぼつほん)

亀瀬岩(柏原市)

【妙経普賢菩薩勧発品第二十 八】  ※要約
 『華厳経』で重視される普賢菩薩が登場するお話。『法華経』の行者が備えるべき4つの法を普賢菩薩に説かれている。

【日本遺産】 葛城修験(構成文化財)
 亀の尾宿 普賢菩薩勧発品(第二十八経塚)/明神山 普賢菩薩勧発品(第二十八経塚)
 観音寺/三輪神社、関屋地蔵尊

文献

引用・抜粋文

『葛城峯中記』
(室町時代初期)
鎮永/千勝院

百四 普賢嶽 火舎嶽 大般若 如法經
百五 大坂捌下 妙荘嚴王品第廿七 八部山長谷寺 觀音断木 柏原天皇石塔十三重鴈岩窟石塔一基、・・・
百六 常琳寺 阿弥陀 地主八王子東北方十一丁石塔。普賢寺。
百七 十願觀音終。
百八 亀尾宿 勸発品第廿八 岩崛去文字甲在也。五輪河中石ニ鮮二見也。宝篋印塔双ヒテ之ニ在り。常ニ水中ニ有ル故見エズ、于水ニハ拝見申也。

『葛嶺雑記』
(江戸時代後期)
智航/
犬鳴山七宝龍寺

亀の尾宿
同国葛下都西北山の尾崎よりあみ
亀瀬川へなだれ出たる所なり
川中に亀石紫石雲石口其外奇石峭立して絶景なり。又自然に梵書のやうにあらはれみゆる大石あり。正しく高祖の御作にや。これを亀瀬の経石といへり
妙普賢菩薩勧発品第二十八之地
習のうらや島根をかけてやつをふみこゝになかめのをはり成らん
此嶺中に、都合百八所の行所あり。故に菩提のみねともいふ。其内順路の所のみ。こゝに出して洩るところは往古より遙拝の箇所なり。また不順路ゆゑに遥拝なりし所もありんか追日正して別に記ス。

【以下の文献より引用・抜粋】
●『葛城峯中記』は『葛城の峰と修験の道』中野榮治・著 ●『葛嶺雑記』は『葛城回峯録』犬鳴山七宝滝寺に収録

 第二十八経塚の所在地には二説ある。『葛城峯中記』では「亀尾宿」、『葛嶺雑記』では「亀の尾宿」として、大和川の亀の瀬にその姿を現している「亀瀬岩」を指していると思われる。一方、『役君行生記』(元禄年間編)葛城修行之事には、「昔、釋小角が法華二十八品を此峯に埋める。いはゆる序品を伽陀窟に納め、巻尾を率塔婆の峰に埋める。故に、其間に二十八禅舎有る也」とある。この「率塔婆の峰」こそ、王寺町にある明神山(273.6m)ではないかと考えられている。

 第二十八経塚がいずれであるにせよ、明神山越えで亀瀬岩をめざすルートが地図上でも最短である。穴虫峠から屯鶴峯に入って北進し、智辯学園奈良カレッジの東側に出ることができる。ただ、現在、屯鶴峯内は迷路のようにルートが入り組んでおり、簡単に抜け出せないかも知れない。近鉄大阪線を越え田尻の集落に入ると、楠公矢除身替観音寺や三輪神社がある。観音寺は、楠木正成が敵の矢を受けた際、観音像が身代わりになり傷が残ったとの伝説があり、本尊は室町時代の作と伝わる木造十一面千手観音立像。一方、境内には役行者像が祀られ、三輪神社と共に碑伝が奉納されており、今なお、修験者の行場であることがわかる。
 田尻集落を西進すると、「従是東奈良縣管轄」と刻まれた国界碑(大正9年3月建立)が目に入る。ここが大阪府と奈良県の境界であり、この道が大正期には幹線道路であったことがわかる。この国界碑の付近に明神山への登山口があり、右手に関屋の住宅地を見ながら尾根筋を登っていくことになる。この峰は、大和川が流れる大阪府側に急峻で、奈良県側は比較的ゆるやかなため関屋の住宅地が開発されたのだろう。やがて、国分(柏原市)から登山道と合流するが、そこに関屋地蔵尊が祀られている。
 明神山山頂へは、王寺町の明神4丁目の登山口から登れば約45分の手頃なハイキングコースで、利用者も多くそれなりの賑わいがある。山頂からは、条件が良ければ明石海峡大橋や比叡山まで望めるといい、近年は、「恋人の聖地」と称して悠久の鐘が設置され人気があるようだ。先の国界碑からは約1時間半、お目当ては山頂の水神社である。ここがピンポイントの経塚というわけではないようだが、明神山の宗教的シンボルとしてここに碑伝を納めお参りをする修験者が多い。南を望むと、これまで参拝してきた二上山・葛城山・金剛山が重なって見え、修行終焉にふさわしい風景である。また、北を見やれば、足下に大和川が流れ、対岸には三室山・信貴山・矢田丘陵・生駒山が望める。この三室山の南斜面である柏原市峠地区・雁多尾畑地区一帯は、「亀の瀬地すべり」の被害を繰り返してきたところで、とりわけ1931年(昭和6年)から翌年にかけて起こった地すべりは、関西本線(現・大和路線)の亀ノ瀬トンネルが崩壊するなど被害が甚大であった。現在は、対策事業も進んで目に見える規模の地滑りは発生しなくなっているが、そうした地形を目の当たりにすることができる。
 もう一つの第二十八経塚「亀瀬岩」へは、山頂から藤井ルートと呼ばれる登山道を下り、大和川にかかる大正橋に出る。国道25号線を西進すると近いが、徒歩なら大正橋を渡って、大和川の右岸沿いの龍田古道を下る方が風情がある。やがて、先に紹介した地すべり地域に出るが、リニューアルされた亀の瀬地すべり歴資料館が目に入る。大和川の流れに目を凝らすと、橋より下流に「亀瀬岩」が見える。ルートを探せば河岸までたどり着くことができる。急流に磨かれた亀の甲羅はつるつるしているため、花崗岩と聞いて驚く。『葛城峯中記』や『葛嶺雑記』によると、この岩には梵書のように見える文字が現れ、かつてはその横に宝篋印塔が建っていたという。亀の瀬の右岸には、かつて剣先船の船着き場があったようで、「大坂剣先船問屋中」と刻まれた石燈籠も残っている。ここに祀られた龍王社にはやはり碑伝が置かれているが、亀瀬岩を訪れた修験者は、便宜上、この神に奉納したのであろう か。 近年、ここに「阿字門」という額が掲げられた鳥居が建てられているが、葛城二十八宿の峯入りの際、順峯では涅槃等覚門、逆峯では発心門としてその名を名づけたと説明されている。ここは、明神山の遙拝所でもある。

習のうらや島根をかけてやつをふみこゝになかめのをはり成らん
此嶺中に、都合百八所の行所あり。故に菩提のみねともいふ。其内順路の所のみ。こゝに出して洩るところは往古より遙拝の箇所なり。また不順路ゆゑに遥拝なりし所もありんか追日正して別に記ス。

 
楠公矢除身替観音寺   同寺役行者像
 
関屋地蔵尊   三輪神社より二上山雄山を望む
 
龍王社   葛城二十八宿順峯・逆峯の阿字門
 
明神山水神社  
 
明神山から大阪平野を望む   転法輪寺司講葛城二十八宿成満証