● 【葛城二十八宿】 第三経塚「妙経譬喩品」(ひゆほん)

大福山第3経塚

【妙経譬喩品第三】 ※要約
 「(舎利弗よ、)あなたは自分が菩薩であるということを忘れてしまっている。私(釈尊)は、すべてのブッダが把握している白蓮華のように最も優れた教え(妙法蓮華)を声聞たちに解き明かすのだ。」
 釈尊は、他の弟子たちにも分かるように「三車火宅の譬え」を用いて解いた。つづけて、「如来は、智慧の力と4つの畏れなきことを具えているが、それを使わず巧みな方便という智慧によって、この三界(欲界・色界・無色界)から衆生を脱出させるために3つの乗り物を示されたのだ」と。

【鳴瀧山圓明寺・四ノ宿行者尊】
 飯盛山山頂をUターンし、今度は南東に延びる山道をとると札立山(349.2m)である。札立山山頂を起点に、さらに西へ尾根伝いに進むと第三経塚の大福山、南へ下ると鳴滝山圓明寺に至る。この寺の縁起には、役行者が法華経第三巻比喩品を埋めたところが鳴瀧不動尊で、葛城二十八宿第三経塚の地であることが圓明寺の始まりとしている。創建は13世紀頃で、根来寺の末寺となったが、秀吉による紀州征伐の時に根来寺と同様焼き討ちに遭い七堂伽藍を失っている。現在は、臨済宗妙心寺派の末寺として、「鳴滝のお不動さん(鳴滝不動尊)」の名で親しまれているようだ。圓明寺本堂からは、鳴滝川に沿って上流に「不動滝」「不動堂」「護摩堂」などがあり奥の院といった場所である。4月28日には柴燈大護摩供が催されているようだ。
 鳴滝川の西側は善明寺という地名だが、そういう名の寺院は今はない。 ただ、「楠見行者前」というバス停の数百メートル北に「四ノ宿行者尊」がある。住宅地の造成によって引っ越しを余儀なくされたのだろうか、山の中腹に幾つもの石仏や神棚が寄せられている。その1つに、ひときわ立派な行者窟が設けられ、役行者の石仏が鎮座する。この地の案内板には、「当地に古来、真言宗泰平山善明寺在り。昔より方二間半の観音堂在り。四乃宿行者尊と共に観音信仰の一大道場でありしが、天正十年の兵火にて焼滅し、その後当地に再建する事あたわず。」とあり、圓明寺同様、信長・秀吉の紀州攻めによるものだろうか。四ノ宿は、高仙寺と同じ宿番であるが、二十八宿の巡拝に幾つものルートがあったのか、それとも時代によってルートの変遷があったのだろうか。

【大福山】
 第三譬喩品の経塚の所在地については、大福山、雲山峰、墓ノ谷の三説がある。まず、大福山はこの地域の健康登山として人気の高い山である。葛城修験の行者たちは、飯盛山から札立山を経て、見返山、大福山へと尾根ルートを辿ったか、鳴瀧不動や本恵寺に一度下り、再び大福山をめざしたと思われる。前者の飯盛山から大福山への尾根道は、「お鉢巡り」のようなコースとなっており、展望地では円心に向かってそれぞれのピークを眺めることができる。
 JR六十谷駅から1q余り北にある大福山本恵寺(ほんえじ)は役行者開基と伝わり、「直川(のうがわ)の観音さん」として親しまれている。立派な仁王門の先の急な階段は本堂へと一直線に延びており、現在は、千手観音を本尊とする日蓮宗の寺院である。
 この本恵寺からの大福山登山ルートは、千手川の左岸に沿った道を北進するが、やがて、道路が右岸に渡るあたりに十数台の駐車スペースがあるので、車利用の場合はここに置いておくことができる。この先を進むと、大福山へは、奥畑の小川地蔵尊に分岐があり、「大福山、辨財天上り口」の道標は左を指している。左折せず直進しても、牛神神社あたりから登り口があるが、いずれも尾根に出、奥辺峠を経て大福山に至る。
牛神神社から登ると、やがて割合辨財天女に至る。さらに、山道を進めると一字一石の石が置かれた分岐があり、直進は西谷池を経て大福山に直登するルートで、行者の一行は今もこちらを進むと聞く。一方、左手に進めば八王子社跡で、石灯籠や手水鉢などが残り、寛政十二年(1800年)の銘も読みとれる。この八王子社跡道は、なかなかの急登で、やがて六十谷道と合流し、奥辺峠を経て大福山山頂に到着する。
 6月下旬、奥辺峠でも見かけたササユリが、山頂ではフェンスで囲まれ保護されている。天気が良ければ、西に深日港や関西電力多奈川第二火力発電所が一望でき、標高427mという気軽さもあってか登山客も多い。肝心の経塚だが、山頂に「大福山」と深く彫り込まれた石碑(1696年建造)が存在感を増し、その左手に、「妙経譬喩品第三之地」と示された石標、さらに「聖観音菩薩石像」の祠が並ぶ。『紀伊続風土記』や『紀伊名所図会』では、本恵寺はもともとここにあったことが記されている。大福山山頂から三角点419.9mのある俎石山(まないたいしやま)にむかって足を進めると、すぐに「第三経塚跡」を指し示す標識が目に入る。悩ましい標識だが、もとはこちらに経塚があったということだろうか。さらに「大福山辨財天窟跡」もこの尾根筋の西側にあり、谷に沿って下っていくとかつての行場とおぼしき巨岩群に遭遇する。「南無阿弥陀佛」と刻まれた石標が巨岩の袂に据えられており、『紀伊名所図会』にも紹介されている「大福山辨財天之窟」の所在地と推定する。

 
鳴瀧不動の行所   鳴瀧不動堂
 
四ノ宿行者尊を示す標識(善明寺)   立派な祠に安置された役行者石像
 
圓明寺   札立山
 
本恵寺山門   本恵寺本堂(直川観音)
 
小川地蔵尊分岐   牛神神社
 
八王子社跡   奥辺峠
 
大福山山頂で保護されているササユリ園   俎石山
 
大福山第三経塚跡   大福山辨財天窟跡

【雲山峰】
 もう一つの第三経塚は雲山峰(うんざんぽう)であるが、大福山からは尾根伝いに懴法ヶ嶽(せんぽうがたけ)、井関峠、そして、三角点489.9mの雲山峰に至ることができる。途中の懴法ヶ嶽(せんぽうがたけ)は西峰と東峰の2つのピークがあり、両方を制するも良し、またこれらのピークをトラバースするルートも選択できる。
 雲山峰は「紀泉アルプス最高峰」と銘打っている記事をよく見かけるが、紀泉アルプスとはJR阪和線以西の和泉山脈を指すらしい。JR六十谷駅とJR山中渓駅を発着駅とすれば、西から札立山、大福山、懴法ヶ嶽、雲山峰と縦走できる健脚向きのコースとなる。雲山峰だけをめざすのであれば、鳥取池(阪南市)からのアプローチがお薦めである。山頂は石積みの石祠があり、そこが第3経塚とされている。雲山峰の名は、雲のかかり具合で雨を予知するため眺めてきた峰と想像する。

【墓ノ谷】
 JR六十谷駅から千手川沿いに延びる道は、一方で、「墓ノ谷山行者寺」への参詣道でもある。奥谷の集落を越し井関橋までくると、橋の袂には「はかのたに」を示す石標や石灯籠が建てられ、一層趣きを演出してくれている。軽トラならなんとか走れそうな幅の山道を、先の駐車スペースから徒歩30分弱で「墓ノ谷山行者寺」に到着する。境内に設置された案内板によると、役行者小角とその母公白専女(しらとうめ)を祀っており、現在は、本恵寺(直川観音)が管理している。毎月1〜7日と第2日曜日は午前中のみ開帳されており、母公の月命日である7日は、参拝客も増えるようである。智航の『葛嶺雑記』に「はかの谷といふ所に塚、妙経譬喩品第三之地」と記され、これが墓ノ谷第3経塚説の根拠となっている。

井関橋
 
懴法ヶ嶽   井関峠
 
見返山より雲山峰を望む   雲山峰第3経塚
 
墓ノ谷山行者寺