ボ谷ノ池(ダイトレ)
【 妙経分別功徳品第十七】 ※要約 寿命の長さと言っても必ずしも長さ自体が大事なのではなく、釈尊がそれだけの長い寿命をもって常に娑婆世界で説法教化し菩薩行を行い続けていること、諸仏の根源は釈尊であることを見失わないことの功徳が明かされる。
【日本遺産】 葛城修験(構成文化財) 天見不動 分別功徳品(第十七経塚)
引用・抜粋文
『葛城峯中記』 (室町時代初期) 鎮永/千勝院
六十二 紀少たう(※)下、右西ヘ往。 六十三 池ノ峯留、分別功徳品第十七 南不動アリ。 (※たう:イ+別)
『葛嶺雑記』 (江戸時代後期) 智航/ 犬鳴山七宝龍寺
天見不動 那がれ谷の村より山づたひまいる。一にボダニの池といふ。古記にしたがふところ不動の石像あり 妙分別功徳品第十七之地 もゆる火のぼたにの池に棲める身は華にぞ光る蓮葉の露鎌の多輪経塚
【以下の文献より引用・抜粋】 ●『葛城峯中記』は『葛城の峰と修験の道』中野榮治・著 ●『葛嶺雑記』は『葛城回峯録』犬鳴山七宝滝寺に収録
流谷の車道を、第十六経塚の標識から600mほど下ったところ、右手に砥石谷に至る分岐がある。砥石谷は、軽トラが進めるほどの林道が通っているものの、標高300mを過ぎたあたりからは山道である。ダイヤモンドトレ ール(ダイトレ)にとりつく峠は標高430m付近なので、さほどきつさは感じない。やがて、この山中の国道とも言うべきダイトレ に合流すると、安心感かなんだかうれしくなる。この交差点を西にとれば、根古峰・岩湧山へと続く。ダイトレを横断して南に下ると根古谷で、南海高野線紀見峠駅に至る。 ダイヤモンドトレール(ダイトレ)は、北の屯鶴峯(奈良県香芝市)から、二上山・岩橋山・大和葛城山・金剛山・岩湧山などを経て、南の槇尾山(和泉市)まで続く全長約45キロメートルの自然歩道である。金剛生駒紀泉国定公園の自然に親しんでもらうために、1968年大阪府と奈良県が整備し、1972年に金剛石(ダイヤモンド)にちなんで名付けられた。以上、大阪府のホームページなどからダイトレの説明を引用してみた。 「大峰山七十五靡」の場合、大峰山系のほぼ尾根筋に沿って靡(行所・拝所)が位置している。したがって、葛城二十八宿の経塚巡を始めた頃、経塚は和泉山脈の峰々や金剛山地のダイトレ上に配置しているものだと思っていた。しかし、実際、峰の頂きや尾根筋にある経塚は10ヶ所前後で、槇尾山以北に14の経塚が配置されているが、そのうちダイトレ上にあるのは5ヶ所である。険しい山中にこそ行場がありきと思っていたが、意外にも人里近いところに全体の3分の2近くの経塚がある。 さて、先のダイトレとの交差点を左折し、東へ50mほど進むと、トタン屋根の下に第十七経塚の祠が目に入る。 ここ天見不動は、数少ないダイトレ上にある経塚なのだ。祠の中には二体の石仏がおさめられており、一体は不動明王、もう一体の尊名は不明である。
よく整備されたダイトレを歩くと、足取りも軽い。やがて、「ボ谷ノ池」という大きな標識が 目に入るが、その前がボタニ池である。『葛嶺雑記』(江戸後期)では、智航の「もゆる火のぼたにの池に棲める身は華にぞ光る蓮葉の露」という和歌が収められており、かつて、ここには蓮の花が見られたようだ。しかし、現在は豊かな水をたたえることなく、湿地となっている。岸辺のスギの巨木は、智航の頃から背を伸ばし、旅人を見守ってきたのかも知れない。 さらに東へ進んでいくと、棒谷林道との分岐にさしかかり、この林道をとれば南海高野線天見駅に通じる。ダイトレは右手に進み、紀見峠までもうひと上りして から一気に下りとなる。 トイレも整備されている紀見峠は、旧国道371号線上にあり、普段は交通量も少ない。しかし、かつて高野詣の人々が行き交い賑わった 紀見峠は、旧国道からさらに東に上り、集落の入口に「高野山女人堂江六里」の道標が立っているところである。