第九経塚嶺の龍王(龍王神社)
【 妙経授学無学人記品第九】 ※要約 阿難への授記が行われた。「過去世で私(釈尊)は、常にあなたと一緒に修行していた。その時私は仏道修行そのものに励んだが、あなたは仏たちの教えを暗記し、多くの人に伝えることに専念した。そのため私の法が先に覚ったが、あなたも仏の教えを人に伝えるという使命をすでに果たしている。」
【日本遺産】 葛城修験(構成文化財) 嶺の龍王 授学無学人記品(第九経塚)
引用・抜粋文
『葛城峯中記』 (室町時代初期) 鎮永/千勝院
四十六 伊勢宿 四十七 龍宿 人記品第九 金剛童子上八幡一丁西水在。東へ直ニ廿丁行、下津川也。南原也。 四十八 宝山寺 北麓一里。 四十九 神伏寺 北ノ麓ニ在。
『葛嶺雑記』 (江戸時代後期) 智航/ 犬鳴山七宝龍寺
蕎原とちの木谷 五本松のミねより北の谷にむかひて遥拝なり 金剛童子御爪ほりのぢさう護摩場に不動高祖の御修法護摩なし給ふとあり 嶺の龍王 塔原村の嶺に有五ケ村の氏神といふ 本社八大龍王晴雨にかゝはらす此高ねに氏子の輩日供を運び奉る 金剛童子祠 紀州那賀郡にて龍王の脇にあり 此祠を妙授学無学人記品第九之地に建し塚といへり
【以下の文献より引用・抜粋】 ●『葛城峯中記』は『葛城の峰と修験の道』中野榮治・著 ●『葛嶺雑記』は『葛城回峯録』犬鳴山七宝滝寺に収録
第八経塚の犬鳴山から、次に目指すは第九経塚のある標高858mの和泉葛城山。犬鳴山周辺には、いくつものルートがあるが、いずれも五本松を経由することになる。『葛嶺雑記』 では、五本松から北にある「金剛童子御爪ほりのぢさう護摩場」などを遙拝するとあるが、いずれを指しているのか不明である。五本松の名の由来はよく分からないが、ここには紀の川市立ハイランドパーク粉河がある。展望レストランが併設された総合管理棟を中心に、展望台、キャンプ場、野外ステージなど、山上の野外活動施設が整っている。ここから大峰山系がよく見え、元旦にはその稜線に登る初日の出を拝みに多くの人で賑わうそうだ。ハイランドパーク粉河の前には、アスファルト舗装された紀泉高原スカイラインが、和歌山県と大阪府の県境に沿ってやや南側を走っており、この道に沿えばやがて和泉葛城山に到達する。 大和葛城山と区別するために和泉葛城山と称されているのだろうか。しかし、役行者が修行したとされる時代には、金剛山地から和泉山脈にかけての峰々を総称して「葛城山」と呼んでいた。したがって、「葛城」という名称は、今も断片となって各地に見え隠れしている。(葛城市、北葛城郡、かつらぎ町、中葛城山、葛木岳、葛城神社など) 紀伊半島では、標高1000m付近にブナ林が見られるが、「葛城山」では、大和葛城山、金剛山(葛木岳周辺)、そして、ここ和泉葛城山の計3カ所に、パッチワークのようにブナ林が見られる。ただ、大和葛城山も和泉葛城山も、自生地の面積は極めて狭く、はたして次世代への健全な更新が進んでいるのか疑問が残る。標高900m未満の和泉葛城山の場合、近年の温暖化というマイナス条件も加わると、これからのブナ林の未来は決して楽観視できない。
和泉葛城山山頂には、二つの神社が互いに背を向け、それぞれ和歌山県側と大阪府側に面して鎮座している。和歌山県側は龍王神社で、八大龍王を祀っている。『葛嶺雑記』 では、龍王社の脇に金剛童子の祠があり、それを指して経塚としているが、祠らしきものは見あたらない。そこで、玉垣に囲まれ た龍王社を授学無学人記品第九経塚であるとしているが、一方で、玉垣の外側も含めこの辺りを広く指して経塚とする説もある。龍王神社に伸びる石段の参道の両側には、登頂の記念または祈願として、だんじりに使われる前梯子が逆さに打ち込まれ、たくさん並んでいる。泉州地方の学校やだんじりの団体のものが多く、和泉葛城山への信仰や風習がこうした形で残っているようだ。 一方、大阪府側は、高龗(たかおがみ)神社/葛城神社で、やはり石祠があり、八大龍王と葛城一言主を祀っている。昭和46年建立の案内板には、岸和田城主が巨石をもって社殿を造らせたと記されている。高龗神社側にも、北側からの長い石段の参道があり、立派な石鳥居が2ヶ所に建てられている。ただ、登頂記念の前梯子は、こちらには建てられておらず、泉州地方からの参拝客も、記念・祈願の前梯子は和歌山側の参道に建てるようだ。 いずれにしても、2つの神社がそれぞれ雨乞いの神として、また修験道とも関わりながら、紀州と泉州の人々の信仰を集めてきた。そして、そうした神々が鎮座する和泉葛城山である。ここから先は、第十経塚のある大威徳寺をめざして下る。