名 前 やまんば【山姥】
出没地 大台ヶ原
伝 説

○紀州船津村(現・三重県北牟婁郡紀北町)の六兵衛という猟師が大台ヶ原大蛇ーまでスクリの木をとりに入り、夜たき火をしていたところ、40歳ぐらいの女が立っていた。「ご飯をくれ」と言って櫃にのった麦飯をみるみるうちに食べてしまい、さらに「酒をくれ」といい六兵衛の五升樽を飲み始めた。そこへ突然同じ年格好の女が来て、二人の女が無言でにらみ合ったが、あとから来た女が無言ですっと消えた。するとたちまち天地振動し、酒の女は消えうせ、巨身白髪白髭の老人と後から来た女が立っていた。「私は大台ヶ原山の神で、前の女は鬼だった。鬼の力が強かったので、この弥山大神の助けを仰いで、お前を救い出したのだ。」と告げ、二神とも姿を消したという。(※1,2)
○尾鷲の魚屋のいそべさんととめじいという人が、大台を越える峠で山姥に出会った。枯れ木のようで髪の毛が長く、目だけがギョロギョロ光っていたそうだ。茶色い体でシャレ木のような姿やったらしい。裸やけど男か女かはっきりわからなかったらしい。こわかったんで「どうぞこれを召し上がって下さい」と魚をさし上げてこらえてもらった。(※3)

談 義

【考察】
 大台ヶ原の大蛇ーで繰り広げられた二人の女の対決だが、一人は自ら大台ヶ原の山の神と名乗り、もう一人は鬼女つまり山姥だったと想像できる。
 『更級日記』の中の、筆者が足柄山に宿泊した降りに遭遇した深山に棲む遊女の話に、馬場あき子はその著書『鬼の研究』で、山姥の起源を見いだそうとしている。「月もない暗い夜に、どこともなく現れた色白くこぎれいな女たちは、からかさの下で夜空に澄み渡るような声で歌い上げ、どこへともなく山中に消えていった。」このような女たちが老いて後も山に棲みついたのが、もしかすると山姥の素性なのかと想像している。
 一方、「牛方と山姥」や「飯食わぬ女房(食わず女房)」の民話などでは、大食漢の山女が登場する。山人にとってご馳走であったに違いない米(飯)への過剰な反応ぶりが、常軌を逸した隣人として山姥の特徴に付加されてきた。また、謡曲『山姥』では、足柄山のような山の生活者としての側面は剥ぎ取り、「そもそも山姥は、生所も知らず宿もなく、唯雲水を便りにて、到らぬ山の奥もなし、しかれば人間にあらず」と、鬼女の烙印を押している。
 このような山姥が、大台ヶ原に棲んでいたという伝説は、川上村の昔話としても残っている。そして、山の神の女神が、弥山大神の助けを仰いでやっとこさ山姥を撃退したという、ぎりぎりの戦いであった。

【フィールドワーク】
 大台ヶ原の大蛇ーは、「紀伊山地のグランドキャニオン」ともいうべき隆起準平原の西端にあたり、東ノ川の谷底に向けて一気に800mもの高度を下げる珍しい岩稜である。
明治18年から3年間にわたり、松浦武四郎が開拓目的の調査登山を行った。また1885(明治24)年に入山した古川嵩氏は、1899 (明治32) 年に、多くの人々の支援をうけて福寿大台教会開設している。1917(大正6)年、四日市製紙株式会社が東大台の約200haを皆伐に近い状態で伐採し、林業開発が始まる。このように、紀伊山地の中でも最も遅く本格的な入山が始まったのが大台ヶ原である。それゆえ、一本だたらや猪笹王、山姥を始め、妖怪伝説の多いところである。

引用文献

※1)奈良県史編纂委員会『奈良県史13民俗(下)』(S63.11.10.名著出版)
※2)編集:奈良県童話聯盟、編纂:高田十郎『大和の傳説』(S8.1.15.大和史跡研究会)
※3)広報「かわかみ」編集委員会『川上村昔ばなし』(2007.3.吉野郡川上村)
※4)『鬼の研究』馬場あき子

大蛇ー