名 前 ツチグモ【土蜘蛛】
出没地 御所市、郡山市
伝 説

○高天神社(御所市)の前の並木の東側に土蜘蛛のいる窟があり、千本の足をもっていた。時の天皇の勅使が矢を射て殺したが、その土蜘蛛は高天彦神社の傍らに埋め蜘蛛塚といった。(※1)
○外川(郡山市)の土蜘蛛は、毒をもつ大きな牙をガチガチならして、真っ赤な舌をペロペロ出し、銀色の太い糸をパッと吹きかける。(※2)
○昔、神武天皇がカツラで網をもって土蜘蛛を捕え、これを頭と胴と足と3つに切って別々に今の神社(一言主神社)の境内に埋め、その上に巨石を置かれたという。(※3,4)
○昔、大きなクモが毎夜付近を荒らしまわったので、一言主ノ命がこれを退治した。その牙があまりに大きいので取っておいて、死骸は田の中に埋めた。命がクモ退治に用いた剣やクモの牙は、今でも一言主神社の宝物として永久に保存することにしたという。(※3,4)
○法師に身をやつした土蜘蛛の精が源頼光を襲うが、失敗して姿を消す。頼光の部下たちは、傷を負った土蜘蛛の血の跡をたどり、化け物の巣とおぼしき古塚をつきとめる。土蜘蛛は「我こそは大昔から長い間、葛城山に潜んでいた土蜘蛛の精だ」と名乗る。蜘蛛の化け物は、たくさんの糸を繰り出し投げてくるので、蜘蛛の糸が手足にまとわりついてきた。しかし、土蜘蛛の逃げ場をふさいで取り囲み、大勢で襲いかかって、ついに土蜘蛛の首を切り落とした。(※5)

談 義

【考察】
古典に登場する土蜘蛛は、大きく二つに分かれる。
@ 記紀や風土記などに登場する土蜘蛛は、神武天皇や大和王権に恭順しない土着民や国ツ神系の人々への蔑称として使われている。
A 時代が下ると、物語(『平家物語』剣の巻・『土蜘蛛草紙絵巻』)や能の演目(謡曲『土蜘蛛』』にも登場するようになり、その場合、源頼光によって退治される妖怪という 設定に変わっている。
 『古事記』の神武東征伝によると、八咫烏に導かれ現在の奈良県に入ると、贄持之子(阿陀の鵜飼の祖)、井氷鹿(吉野首らの祖)、石押分之子(国栖の祖)といった国ツ神に出会う。また、忍阪(桜井市)でも、 「尾生ひたる土雲(八十建)」が待ち受けている。彼らは、生駒山の那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)ほどの大きな抵抗勢力ではなかったようだが、力で従えていかなければならない「土蜘蛛」グループであった。奈良県内に伝わる土蜘蛛伝説は、大和王権下の抵抗勢力であ った土着民たちの系譜がもとになっていると考えられ、源頼光は登場してこない。
 一方、『土蜘蛛草紙絵巻』などでは、ウルトラマン対怪獣の構図を当てはめることができる。また、謡曲『土蜘蛛』では、土蜘蛛の出所として「我こそは大昔から長い間、葛城山に潜んでいた土蜘蛛の精だ」と名乗って いる。奈良県民の私にとっては、とても親しみを感じることができる。

【フィールドワーク】
 高天彦神社(御所市)の数百メートル南にこんもりとした塚山があり、「蜘蛛窟」碑が建っている。石碑の裏側には、「皇紀二千六百年神武天皇聖蹟顕彰」と刻印があり、1940年(昭和15年)の神武天皇即位紀元2600年を祝った一連の行事の中で建立されたものと考えられる。ただ、「蜘蛛のいた窟」というような洞窟らしきものは見当たらない。
 一方、一言主神社(御所市)境内にも「蜘蛛塚」があり、神武天皇が捕えた土蜘蛛を埋めたところとしている。謡曲『土蜘蛛』を引用した説明看板が立っている が、土蜘蛛ゆかりの地としてPRするには、こちらの話の方がありがたかったのだろうか。

引用文献

※1)御所市史編纂委員会『御所市史』(S40.3.10.御所市役所)
※2)奈良のむかし話研究会編『読みがたり・奈良のむかし話』(S52.9.1.日本標準)
※3)奈良県史編纂委員会『奈良県史13民俗(下)』(S63.11.10.名著出版)
※4)編集:奈良県童話聯盟、編纂:高田十郎『大和の傳説』(S8.1.15.大和史跡研究会)
※5)謡曲「土蜘蛛」
※6)『鬼の研究』馬場あき子

   

『土蜘蛛草紙絵巻』より

 
一言主神社境内の蜘蛛塚   高天彦神社近くの蜘蛛窟