天ヶ瀬(上北山村)に住む射場兵庫という武士は、伯母峰で背に熊笹の生えた猪を鉄砲でたおした。ところが、紀州湯の峰温泉に湯治に現れた野武士の正体が、背中に熊笹の生えた怪物であることがわかった。その猪笹王(いざさおう)の亡霊は「兵庫の持つ鉄砲と犬を手に入れたいから何とかしてくれ」と頼んだが、兵庫は聞き入れなかった。そののち猪笹王の亡霊は一本足の鬼と化して伯母峰に現れ、旅人をとり始めたので東熊野街道はさびれてしまった。ところが、丹誠上人が伯母峰に地蔵尊を勧請し、経堂塚(辻堂山)に経文を埋めて鬼神を封じてから、ふたたび旅人も通るようになった。ただしこれには条件があり、毎年十二月二十日だけは鬼の自由に任すと言うことである。それで今も「果ての二十日」だけは伯母峰の厄日とされている。 |