名 前 いっぽんだたら 【一本だたら】
出没地 伯母峰峠(上北山村)
伝 説

 天ヶ瀬(上北山村)に住む射場兵庫という武士は、伯母峰で背に熊笹の生えた猪を鉄砲でたおした。ところが、紀州湯の峰温泉に湯治に現れた野武士の正体が、背中に熊笹の生えた怪物であることがわかった。その猪笹王(いざさおう)の亡霊は「兵庫の持つ鉄砲と犬を手に入れたいから何とかしてくれ」と頼んだが、兵庫は聞き入れなかった。そののち猪笹王の亡霊は一本足の鬼と化して伯母峰に現れ、旅人をとり始めたので東熊野街道はさびれてしまった。ところが、丹誠上人が伯母峰に地蔵尊を勧請し、経堂塚(辻堂山)に経文を埋めて鬼神を封じてから、ふたたび旅人も通るようになった。ただしこれには条件があり、毎年十二月二十日だけは鬼の自由に任すと言うことである。それで今も「果ての二十日」だけは伯母峰の厄日とされている。

談 義

【考察】
○ 一本だたらは紀伊山地固有の妖怪で、他に十津川村の果無や玉置神社周辺、また野迫川村の伯母子峠にも一本足の化け物が伝わる。しかし、伯母峯の一本だたら伝説は、物語として 構成が面白く、最も有名である。
○ 伯母峰に隣接する大台ヶ原は日本有数の豪雨地帯で、天候の急変や濃霧、積雪に、その昔の旅人は峠越えに困難を極め、時には遭難や行方不明者も出たたことだろう。数メートル先が見えない濃霧や豪雨の中での大木の立ち枯れ、苔むした立ち枯れの大きな洞、霧氷が作りなす自然の造形など、これらの自然現象が背景となって、一本だたらの妖怪が生まれてきたのではないだろうか。
【フィールドワーク】
○ 大台ヶ原大台教会の田垣内政一氏は、かつて教会の宿泊者を集めて、薄暗い石油ランプの下で手振り身振りおかしく大台に伝わる「一本だたら」の伝説を語ったそうである。テレビでその様子が紹介されると一躍有名となり、わざわざ妖怪話を聞くため泊まりに来る人もいたという。たたら亭に残る一本だたたの人形はその時に使われたもので、かつての常連客が作って政一氏にプレゼントしたそうである。ちなみに、政一氏の話では、「一本ダタラを封じ込めたのは、牛石ヶ原の牛石の下」とアレンジされている。
 また、大台ヶ原のお土産として、交通安全を祈願したたたら人形が販売されている。
○ 天ヶ瀬の射場兵庫は実在の人物として伝わり、その末裔は天ヶ瀬の祠にかの鉄砲を奉納し祀ってあったと聞く。ここでは、熊笹の生えた猪→猪笹王→一本足の鬼と化していくが、上北山村の人たちは「猪笹王」こそを神格化し、近年、旧伯母峰峠からほど近いところに猪笹王を祀った真新しい霊廟を建立している。
○ ここでいう東熊野街道伯母峯の位置を「峠」と設定した場合、時代が下るごとに変遷してきている。一番新しい伯母峯峠は、国道309号線伯母峰トンネルということになり、そこには丹誠上人が勧請したという地蔵尊が移築され、通行の安全が祈願されている。しかし、国土地理院の地形図では、奈良県道40号大台ケ原公園川上線上に伯母峯峠を記しており、以前はここに地蔵尊があったとも聞く。
 さらに、この伝説が生まれた頃まで遡ると、川上村伯母谷から上ってきた道は、伯母ヶ峯山頂付近で和佐又・天ヶ瀬方面と小処・小橡方面の三叉路に分かれ稜線上に伸びていたと想像する。小処・小橡方面へは、経文を埋めたという辻堂山を経て通じており、一部奈良県道40号大台ケ原公園川上線とも重なっている。丹誠上人が勧進した地蔵尊のもともとの位置はわからないが、辻堂山は美しい円錐形の山でそのピークには容易にたどり着ける。しかし、経文塚らしいものは何も残っていないし、示されていない。

引用文献

『奈良県史13民俗(下)』奈良県史編纂委員会(S63.11.10.名著出版)
『大和の傳説』編集:奈良県童話聯盟、編纂:高田十郎(S8.1.15.大和史跡研究会)

 
大台教会で使われていた一本だたらの人形   猪笹王を祀った霊廟
 
経堂塚があったとされる辻堂山   旧伯母峰峠
新伯母峰峠と地蔵尊