名 前 ガタロ 【川太郎】 【河太郎】
出没地 熊野川(五條市大塔町辻堂・浄称寺)
伝 説

 昔、蒲生家第15代祐玄(すけくろ)が便所に入っていると、落ち穴の下からニュウっと氷のような冷たい手でお尻をなでるものがあった。祐玄はその手をつかんで、持っていた刀でその手を切り落とし、家に持って帰った。しばらくすると、17〜18歳の美しい娘が片手を袖にかくしながら訪ねてきて、「私の手なので返して下さい」と謝った。祐玄は何も言わずに返してあげたが、その後娘がまたお礼にやってくると、手はもとのようにくっついていた。祐玄は、「どうしてそんなに見事に手をつなげたのか」と聞くと、「私は切り傷の特効薬を知っています。お礼にその妙薬の作り方を伝授しましょう」と、詳しく教えて立ち去った。娘と思っていたのは、川太郎(ガタロ)が化けていたのだった。秘薬は「蒲生錦草祐玄湯」という名で伝わり、今日に至っている。

談 義

【考察】
○ 河童がいたずらをして人間こらしめられ、その謝罪に妙薬の製法を伝授するという話は全国的に存在する。例えば、江戸時代の出版物『夜窓鬼談』では筑後国(現・福岡県南部)の話として、また、『西播怪談実記』では播磨国佐用郡(兵庫県南部)のもの など。家伝薬の由緒書きとして、全国津々浦々に伝わる怪しげな河童を登場させ、その効能にもっともらしい威厳をもたせたのであろう。こちら 紀伊山地にも、そうした逸話が持ち込まれたと思われる。
【フィールドワーク】
○ この話の主人公蒲生家第15代祐玄は、大塔町辻堂にある浄土真宗の寺院浄称寺の家のものと考えられ、現在(2015年)も、蒲生家がこの寺院を預かっている。そこの住職(60代・戦後生まれ)にお話を聞くと、「以前は、寺院内で蒲生錦草を作り、国道端に薬屋を開いて売っていた。薬草は大阪から仕入れていた。その後、販売は更谷商店に委託した。」と小さい頃のご自身の記憶が鮮明であった。
○ 近年は、薬事法の改正などで伝統薬(家伝薬)の製造・販売の条件が厳しくなり、辻堂の更谷商店が販売権を受け継いで、製薬会社製の「辻堂錦草」が販売されていた。2011年の紀伊半島大水害前までは、まだ店頭にあったようである。これには、莪朮(がじゅつ)・桔梗・桂皮・甘草・丁子・芍薬・大黄・蒼朮などが配合され、主に打ち身、捻挫、筋違い、神経痛、感冒などに効果のあった内服薬である。
○ 村内の高齢者の中には、今も「辻堂錦草」ではなく「蒲生錦草」の方を懐かしむ声が多い。しかも、かつての薬屋にはガタロの描かれた立派な看板があったそうで、威厳ありげな看板を横に先の住職のお父さんからこの伝説を聞いたそうである。看板の行方として、浄称寺にはなく、中学校の倉庫で見たという話を耳にした。しかし、その大塔中学校も2004年に新築され、しばらくその所在が行方不明であったが、看板は大塔郷土館・歴史の蔵に保管されていることをつきとめる。ところが、大塔郷土館は2011年の水害以降閉鎖されており落胆したが、2015年4月に再開されることとなった。

引用文献

『大塔村史』大塔村史編集委員会(S34.10.25.大塔村役場)

 

  

浄称寺(辻堂)   「蒲生錦草」薬袋
 
2003年の辻堂。真ん中は大塔小学校で、その上に国道168号線が走る。左下が浄称寺で、さらにその下に熊野川が流れる。   「辻堂錦草」薬袋
「川太郎遺方」の銘の上には、ガタロの絵があったと思われる。
名 前 ガタロ 【河太郎】
出没地 本沢川(川上村入之波)
伝 説

 入之波(しおのは)に辻本半一郎(はいちろう/過去帳によると没年は1699年)という大変な力持ちがいて、ある晩、村内の長殿(伯母谷川の出合にある長殿橋から上流)で投網を打っていた。用心のために褌に小石を入れていたら、水の中からちょっちょっと手を伸ばす者がいて、それをつかんでオカへ引きずり上げたら、ガタロが「こらえてくれ」と手の甲をこすって謝った。そこで「そんな人の尻を取りに来るようなものは助けん」と言うと、「ここから上へは絶対に上がらん。助けてくれたら、門口に何人前と書いてビクを吊っておけばきっと魚を入れておく」と言ったので放してやった。それからは度々魚を入れておいてくれた。
 ガタロが捕まえられた時、ヤマイモをナガシの土間でごしごしこすって出来物のできかけに貼ればきっと効くと教えていったのが辻本家の秘伝となって、今でももらいに来る人がいる。ただしこの術は、同家で生まれた者(他家へ嫁いだ女でもよい)に限るという。
 入之波の氏神社の境内には「河勝さん」と呼ばれる祠があり、河勝大明神が祀られている。これはガタロを懲らしめてくれた辻本半一郎さんを祀ったものである。

談 義

【フィールドワーク】
○ 河童が相撲を好むというのは全国的なもので、しかも、そこに妙薬の話が加わった。同じ奈良県内大塔の「蒲生錦草祐玄湯」とは異なり、こちらは塗布薬のようなものである。しかも、販売はしていない辻本家秘伝の民間療法薬で、少し前まで、入之波地区内の住民はこの塗布薬のお世話になっていたと言う。
○ 入之波地区の氏神さん(十二社神社)は、村営ホテル建設に伴い(現在閉鎖)、ホテルの上に新築されたようである。ただ、「河勝さん」の祠を探してみたもののそれらしきものは見当たらなかった。近年、この辻本家は入之波から村外へ引っ越しをしたようで、その際、「河勝大明神」も持って出たと聞く。

引用文献

『入之波地区民俗資料調査報告書』(1968.3.川上村)
『日本の民俗・奈良』保仙純剛・著(S47.11.5.発行:第一法規出版)