【考察】
○この話は、古くは『霊異記』に記されている。以後、妖怪のことを「ガゴゼ」あるいはこれに近い音で(がごじ、ぐわごぜ、がんごう、がんご)呼ぶ地域が日本各地に伝わっており、その語源として元興寺ガゴゼ説が有力である。(柳田國男著『妖怪談義』参照)
○陰陽道では「艮(うしとら)の隅」(東北)を魔神の出入りする方角としており、丑寅(うしとら)の2つの動物の要素を毛皮と角で象徴化し、鬼の造形化に影響を与えたという説もある。節分に主役となる虎皮のパンツに1〜2本の角、白昼堂々と現れるというキャラクターがそうである。しかし、こちらのガゴゼにはそういうキャラはなく、さらに古い鬼の原形と考えられる。人影の絶えた夜間、白い布の下に顔を隠して現れるそうで、いっそう不気味である。
○『大和名所図会』(1791年刊行)の奈良町の図版には、「美しい女を鬼ときく物を 元興寺(がごじ)にかまそというは寺の名」という狂歌が載せられている。この時代、すでに元興寺そのものは衰退し、境内跡は商工業の町「ならまち」として栄えていたが、幕末に焼失するまで存在していた五重塔は、がごぜの棲みかと言われていたようだ。(月刊大和路『ならら』2015.3月号参照)
【フィールドワーク】
○元興寺の「ガゴゼ」には、2つのキャラクターが存在する。1つは、その昔、元興寺周辺に出没したとされる「鬼のガゴゼ」。もう1つは、その鬼を退治した道場法師自身が鬼神として神格化された「元興神(ガゴゼ)」。2つのガゴゼはスクランブルされ、お寺側も明確な区別を主張していないようだが、どちらのキャラだろうか、杉本健吉画伯考案の元興神が元興寺のお土産(絵馬・日本手ぬぐい等)に使われている。
○元興寺の境内には水島石根作の5躯の鬼の彫像が存在し、オリエンテーリングのようにこれらの鬼を見つける楽しみがある。4つまではやがて見つかるが、「あと1匹が」というのも元興寺らしい趣向である。 |