万葉の里真土山

飛び越え石(落合川)

 奈良と和歌山をつなぐ交通の大動脈として、京奈和自動車道の建設が進行中である。なかでも五條(奈良県)・かつらぎ(和歌山県)間はすでに部分開通しているため、従来の国道24号線はめっきり交通量が減ってきた。その役割を半減しつつある国道が、奈良県(五條市)から和歌山県(橋本市)へさしかかるあたりは丘陵地となっており、「真土(まつち)峠」とよばれている。また、橋本市隅田町側には「真土」という大字があり、『万葉集』には「亦打山」「信土山」の万葉仮名で、計8首の歌が詠まれている。(※別表)
 とりたてて風光明媚な景勝地があるわけでもないこの地が、これほど万葉人に人気があるのは、都のある大和から旅立つ際の「国境」という哀愁からだろうか。現在なら、さしずめ関西国際空港の国際線発着ロビーということになる。妻や恋人としばし別れ、異国の地に赴く旅先では、病 や疲労、人災や自然災害などが待ち受け、再び都の土を踏むことができるかどうか正に命がけの旅だったかもしれない。となると、関空出発ロビーいやいや真土峠にさしかかった万葉人は、都での生活に後ろ髪を引かれ、 一方、家族や恋人は「今ごろ真土峠あたりだろうか」とこれから先の旅の安全を願った。また、無事帰ってくることができた旅人は、真土峠が遠くに見えてきたことで、家人との再会にいっそう心馳せたことだろう。

 私のとりわけ好きな歌を以下に2首。
  白栲に にほふ真土の 山川に 我が馬なづむ 家恋ふらしも (巻7-1192)
  いで吾が駒 早く行きこそ 真土山 待つらむ妹を 行きて早見む (巻12-3154)

 この真土の地には、「亦打山」を詠んだ8首すべての歌碑が立つ。奈良県と和歌山県の県境を流れる落合川には、「飛び越え石」と名付けられた自然の石橋(※上写真)が存在 する。地元では「神代の渡り場」と伝えられてきたらしく、万葉時代の古道もおそらくここを通過していたのではないかとされている。先の句の「我が馬づむ 家恋ふらしも」 の場合、この石橋を渡ることに躊躇した馬に、安否を思いやる家族の情念が馬の足を重くさせているのではないかと、万葉人は解釈したようだ。歌碑の多くはこの飛び越え石の周辺に立てられているが、 第8回橋本万葉まつり(2000年)を記念して犬養孝氏の遺墨が刻まれたものも点在する。

  万 葉 歌 歌 碑
巻1-55 あさもよし 紀伊人羨しも 真土山 行き来と見らむ 紀伊人羨しも @ H K
巻3-298 真土山 夕越え行きて 廬前の 角太川原に ひとりかも寝む G
巻4-543

神亀元年甲子の冬の十月に、紀伊の国に幸す時に、従駕の人に贈らむために娘子に誂へらえて作る歌
大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と 出で行きし 愛し夫は 天飛ぶや 軽の路より 玉たすき 畝傍を見つつ あさもよし 紀伊道に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は 黄葉の 散り飛ぶ見つつ にきびにし 我れは思はず 草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあるらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙もえあらねば 我が背子が 行きのまにまに 追はむとは 千たび思へど たわや女の 我が身にしあれば 道守の  問はむ答を 言ひやらむ すべを知らにと 立ちてつまづく

F J
巻6-1019

石上乙麻呂卿、土佐の国に配さゆる時の歌
石上 布留の命は たわや女の 惑ひによりて 馬じもの 綱取り付け 鹿じもの 弓矢囲みて 大君の 命畏み 天離る 鄙辺に罷る 古衣 真土山より 帰り来ぬかも

E
巻7-1192 白栲に にほふ真土の 山川に 我が馬なづむ 家恋ふらしも A
巻9-1680 あさもよし 紀伊へ行く君が 真土山 越ゆらむ今日ぞ 雨な降りそね B I
巻12-3009 橡の 衣解き洗ひ 真土山  本つ人には なほしかずけり D
巻12-3154 いで吾が駒 早く行きこそ 真土山  待つらむ妹を 行きて早見む C
   
歌碑C   歌碑E(犬養孝筆)   歌碑G
 
歌碑I(犬養孝筆)       歌碑@

『紀伊国名所図会(真土山)』
国道24号線から、今もこの風景の残景が見える。ただ、真土山は住宅地として造成され、その裾野には京奈和自動車道が横切る。図絵に描かれている真土峠と現在の国道上にある真土 峠とは一致しないが、落合川や極楽寺の構図はぴったりと一致している。