猿沢池の采女祭

2023年中秋の名月、春日山に満月が上り、うた語り「采女ものがたり」の管絃舟が出た

 中秋の名月の日、興福寺近くの猿沢池で行われる采女祭は、奈良時代に、天皇の寵愛をうけた采女が、天皇の関心が薄れたことを悲観し、猿沢池に入水した霊を慰めるために始まったと伝わる。この話の原作は、『大和物語』第百五十段にある。『大和物語』は、平安時代中期の歌物語で作者不明。陽成〜醍醐天皇期にわたる、僧侶、男女、貴賤140余名に上る人の歌295首を収録しており、前半は当代の宮廷に生まれた歌語りを主とし、後半は、姥捨山、芦刈、立田山などの伝承が多い。

『大和物語』第百五十段
 むかし、ならの帝に仕うまつる采女ありけり。顔容貌いみじく清らにて、人々よばひ、殿上人などもよばひけれど、逢はざりけり。そのあはぬ心は、帝を限りなくめでたきものになん思ひ奉りける。帝召してけり。さて後、またも召さざりければ、限りなく心憂しと思ひけり。夜昼、心にかかりて思え給ひつつ、恋ひしうわびしく思ひ給ひけり。帝は召ししかど事とも思さず。さすがに常には見奉る。いかにも世に経べき心地し給はざりければ、夜みそかに出でて、猿沢の池に身を投げてけり。かく投げつとも帝はえ知ろし召さざりけるを、事のついでありて、人の奏しければ聞し召してけり。いといたく哀れがり給ひて、池の辺に行幸し給ひて、人々に歌詠ませ給ふ。
柿本の人麿、
 わぎもこが寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき
と詠める時に、帝、
 猿沢の池もつらしな我妹子が玉もかづかば水ぞひまなし
と詠み給ひけり。さて、この池に墓せさせ給ひてなん、帰らせおはしましけるとなん。

 采女祭は、前日の宵宮祭に始まって、当日は、午後5時から花扇奉納行列、午後6時から花扇奉納神事、そして、午後7時から管絃の船の儀と続く。二隻の管絃舟(龍頭・鷁首)が猿沢池の岸に沿って2周するが、これで終わりではない。少し時間をおいて、一隻の舟がもう一度進み出て、最後に花扇が池に投じられ終了する。万葉の時代のひととき再現するかのような、奈良らしいお祭りである。
 天皇が采女の霊を祀ったという采女神社は、春日大社の末社で、猿沢池から三条通へ出る三叉路に面して建てられている。猿沢の池に背を向けて社殿が立っているのは、自分が入水した池を見るのは忍びないからだとか。また、ここから対角線上の対岸に、「きぬかけ柳の碑」などがあり、その近くの茶屋の屋号も「衣掛茶屋」である。

 
管絃舟(龍頭)   管絃舟(鷁首)
 
采女神社    
 
きぬかけ柳の碑   その名も「衣掛茶屋」