難波京と平城京を結んだ竜田古道

 

 大和川の「亀瀬岩」に迫る北側の丘陵地は、聖徳太子の時代に、難波津・四天王寺と斑鳩里・法隆寺を結ぶ古道が、また、奈良時代には、難波京と平城京を結ぶ街道が整備されてきており、歴史的に重要な要衝であった。さらに、都の西の玄関口であるこの地に龍田大社が創建され、「風の神」という独自の信仰を確立しているのは興味深い。

【竜田古道】
 大和川の左岸に明神山、右岸に三室山が迫り、急峻な渓谷を分け入るように越えていくこの国境の峠は、都や家族から離れて旅立つ不安を増幅させたことだろう。さらに、地すべりという自然災害を繰り返すこの峠を、『万葉集』では「畏(かしこ)の坂」と詠まれている。

 上宮聖徳皇子、竹原井に出遊でましし時に、竜田山の死人を見悲傷して作らす歌一首 
 家ならば妹が手まかむ草枕旅に臥やせるこの旅人あはれ 
 
(巻3−415/聖徳皇子)

 石上乙麻呂卿配土佐國之時歌三首[并短歌]
 父君に我れは愛子ぞ母刀自に我れは愛子ぞ参ゐ上る八十氏人の手向けする
 畏の坂に幣奉り我れはぞ追へる遠き土佐道を

 (巻6−1022/作者不詳)

 1つ目の聖徳太子の歌に詠まれている「竹原井」は、亀の瀬の下流で大和川が大きく湾曲するところにあったとされる竹原井頓宮(青谷遺跡)付近のことだと考えられている。2つ目は、天平11(739)年、故藤原宇合の妻で女官であった久米若売との姦通の罪(政争による冤罪説も?)を問われた石上乙麻呂が、土佐の国に配流される途中、「畏の坂」を通る際に詠んだ歌とされている。

独り竜田山の桜花を惜しめる歌一首
竜田山見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに  (巻20-4395/大伴家持)

 天平7年(755年)の作とされ、この時、家持は兵部少輔という役職にあり、筑紫に派遣される防人を検校するため難波に行き来することも多かったという。平城京と難波を行き来するルートは、ここ龍田山(三室山)付近を通っていたことが分かる。この歌碑が、三室山の登山道に設置されている。 また、柏原市立竜田古道の里山公園には、たくさんの桜が植栽され、花見シーズンは多く人で賑わう。

 海の底沖つ白波竜田山いつか越えなむ妹があたり見む (巻1−83/長田王)
 人もねのうらぶれ居るに竜田山御馬近付かば忘らしなむか (巻5−877/山上憶良)
 妹が紐解くと結びて竜田山今こそもみちはじめてありけれ (巻10−2211)
 秋されば雁飛び越ゆる竜田山立ちても居ても君をしそ思ふ (巻10−2294)

 これらの歌は、いよいよ大和(都)を離れる郷愁を詠んだものだが、そのプラットホームが「竜田山」であった。ここでいう「竜田山」は、三室山を中心とした大和川北岸の山々の総称だろうか。実は、『万葉集』で、この「竜田山」と同じ歌われ方をしているのが「真土峠」である。「真土峠」は、大和と紀伊を隔てる難所であった。五條に生まれ育った私としては、「竜田山」にも非常に親しみを感じるようになった。

 平安時代頃までは、竜田古道付近の大和川を「竜田川」と呼んでいたとも言われている。したがって、百人一首に登場する次の二首も、亀の瀬あたりの大和川かもしれない。現在は、大和川の支流に「竜田川」という名称の川があり、かの和歌を愛でらんとする河川公園も整備されている。

 千早振神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは
 (小倉百人一首17番 『古今和歌集』秋下・294在原業平)
 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり
 (小倉百人一首69番 『後拾遺集』秋・366能因法師)

 
打越行者堂   竜田古道(峠付近)
 
峠八幡神社(巻20-4395)   磐瀬の杜
 
関地蔵(龍田の関近くに祀られていたが、水害で石地蔵の頭も紛失されたと言われる)
 
現・龍田川の河川公園   現・龍田川は三面張

【「風の神」信仰の地】
 第10代崇神天皇の時代、国内に凶作や疫病が流行し騒然としているなか、天皇の御夢に大神様が現れ「吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて…」という御神託を授けられた。その通りにお社を造営すると、作物は豊作、疫病は退散したと伝えられ、これが当社の創建とされている
<以上、延喜式・龍田風神祭祝詞より>

 ご神体は「風の神様」で、天と地の間即ち大気・生気・風力を司るという。ご神名の「御柱(みはしら)」とは「天地万物の中心の柱」。龍田大社の西に、当社奥の宮跡地の三室山があり、さらにその西に、風の神様の降臨地とされる御座峰(ござがみね)がある。都から見ると西の玄関口であるこの地「龍穴口」に、国家の安寧を祈願するため風の神が祀られたと思われる。この風の神を連想させる歌が『万葉集』に一首。

 難波に経宿りて明日に還り来る時の歌一首 幷せて短歌
 島山をい行き巡れる川沿いの岡辺の道ゆ昨日こそ我が越え来しか一夜のみ  
 寝たりしからに尾の上の桜の花は滝の瀬ゆ散らひて流る君が見む
 その日までには山おろしの風な吹きそとうち越えて名に負へる社に風祭りせな

 反 歌
 い行き逢ひの坂のふもとに咲きををる桜の花を見せむ児もがも
 (巻9−1751・1752/高橋虫麻呂)

 島山は大和川が湾曲するところにある芝山で、風の神を司る龍田大社に、桜の花を散らさないでくれと祈ろう、とも読み取れる。すでに風の神信仰が定着していたのだろうか。

龍田大社
 
龍田大社境内の万葉歌碑(巻9−1751・1752)   三室山万葉歌碑(巻20-4395)
 
龍田神社本宮跡(三室山)   同左(自然石が組まれ祀られているのだろうか)
 

御座峰(ござみね)
御座峰は龍田大社の風神が降臨された地とされ、風神大祭の翌日には、ここで奉幣行事として「御座峰山神祭」と呼ばれる神事が行われる。また、この御座峰と龍田大社とを結ぶ龍田古道は「神降りの道」とも呼ばれ、古くから信仰の対象となってきた