Mountain Guide
                         くりんとの登山ガイド

           
   
 西大台周回コース 【大台教会〜ナゴヤ谷〜七ツ池】
ナゴヤ谷のテンニンソウ

 「東大台」がトウヒやウラジロモミなどの針葉樹が多いに対して、「西大台」はブナやミズナラ、カエデ類など落葉広葉樹中心の植生である。この要因の一つとして、まず標高差約100mの違いがある。「東大台」では、標高1695mの日出ヶ岳から1400mのシオカラ谷までを周回するのに対して、「西大台」では、標高1560mの大台教会から1300m逆川までが登山道である。
 西大台地区は、自然公園法に基づいて「利用調整地区」に指定され、2007年9月1日より入山規制が始まった。将来にわたり良好な自然環境を保持し、より質の高い自然体験の場を提供するため、日々の立ち入り人数等を調整しようとするものである。入山するためには事前に手続きをして、レクチャーも受けなければならない。国立公園においては日本初の試みで、今後、原生林本来の姿が少しずつ取り戻されることが期待される。詳細については、環境省近畿地方環境事務所のHPを参照されたい。
 西大台への登山口は、駐車場から見てドライブウェイ出口の左手にある。歩道に入るとやがて大台教会が真正面に出迎えてくれる。1891年(明治24)、大台ケ原開山の父古川嵩が初めて入山し、1899年(明治32)に大台教会本殿ほか付属の建物が完成した。古川氏は、神道一派の神習教教祖芳村正乗氏に師事し、ここを神習教の分教会とした。しかし、宗教色を誇示し、信者の獲得、教義の押しつけなどの行為は好まず、「福寿大台ヶ原教会」と呼称して、訪ね来る人は拒まず、一般の登山客にも宿泊施設として提供してきた。1962年(昭和37)に大台荘が完成するまで、山頂付近唯一の宿泊施設として、またその後も常連客など多くの登山客を受け入れてきた。現在の本殿は創建当時のものではなく、建て替えられている。
 大台教会の下に、利用調整区域を監視するための番小屋が建つ。ここを通り抜けると分岐路に出くわし、時計回り・反時計回りのどちらを選んでも再びここに戻ってくる。このページでは反時計回り(大台教会→ナゴヤ谷→七ツ池→開拓跡)のコースを説明していくことにする。

【大台教会〜ナゴヤ谷】
 入山規制がなされた閑かな西大台の森に踏み込んだと思いきや、いつまでたっても坂道でエンジンをふかす音が聞こえてくる。地図を拡げると、ナゴヤ谷付近までは大台ドライブウェイが右手に平行してすぐ近くを走っている。車道が近いため、かつてこの辺りの銘木が盗木・無断伐採にあったと聞く。林床には、東大台ではあまり見られなかったミヤマシキミが見られるようになるが、ミカン科で柑橘系の香りのする葉は、アルカロイドのスキミアニンやジクタムニンが含まれ有毒植物である。ニホンジカなどの食圧から免れる戦略だ。
 西大台が入山規制される前年の2006年、大台教会からナゴヤ谷に向かって歩いていると、登山道にミズナラの大きな枝が散乱していた。さらに、ドングリの果皮だけが無数に落ちており、もしやツキノワグマの食痕かと推測した。さらに、付近の樹木を観察してみると、ミズナラの柔らかい樹皮に天に向かって爪痕が続いているものが複数見つかる。ツキノワグマの姿を目撃できなかったが、とても興奮したのを思い出す。
 ナゴヤ谷に出ると森が開け、テンニンソウ(9月中旬頃開花)やトリカブトの仲間カワチブシの群落(8月下旬〜9月中旬開花)が渓流沿いに広がる。ナゴヤ谷を渡って分岐を右手とると、5分ほど登ったところに、明治18年から3ヵ年にわたって大台ヶ原を調査した探検家松浦武四郎氏の分骨碑がある。さらに、その近くには、吉野熊野国立公園の父と呼ばれている岸田日出男氏の分骨碑もある。大台ヶ原を愛した人物は、古川嵩氏だけではないようだ。
 林床植物として、東大台ではミヤコザサが繁茂するが、ここ西大台ではミヤマシキミが登山道周辺の林道を支配している。ミカン科で柑橘系の香りのするミヤマシキミの葉は、アルカロイドのスキミアニンやジクタムニンが含まれ有毒植物である。ニホンジカなどの食圧から免れる戦略だ。

 
大台教会   ツキノワグマの爪痕
 
松浦武四郎分骨碑   岸田日出男分骨碑

【中ノ谷〜七ツ池湿原】
 「ナゴヤ谷」の名前の由来は、ナゴヤ岳(1610m)を源流とする渓流であることがその所以だろうか。また、七ツ池を越え開拓跡付近に流れる川を「ヤマト谷」というが、こちらもやはり大和岳(1597m)をその源流としている。ただ、七ツ池に至る途中にも、三津河落山(1620m)を水源とする 沢が流れているが、こちらは山の名はもらえず「中ノ谷」と命名されている。「ナゴヤ谷」と「ヤマト谷」の真ん中ということだろうか。この「中ノ谷」が「ナゴヤ谷」と合流した後の流れは、千石ーを飛び出し名瀑100選の「中ノ滝」となって姿を現す。滝の名前には「中ノ谷」の名が引き継がれているらしい。この滝は、大蛇ーからよく見えるが、その左手には「西ノ滝」も望める。こちらは「ヤマト谷」「高野谷」「ワサビ谷」が合流して「逆川」となり、「西ノ滝」に至っている。「中ノ滝」の右手には、「東ノ滝」というのもあり、シオカラ谷がその支流である。「東ノ滝」は、蒸籠ーをはじめ幾つもの山襞が影となっており、大蛇ーからは見えない。その音だけが聞こえてくるので「幻の滝」とも言われている。これら3つの滝の流れが合流して東ノ川となり、大蛇ーの眼下に一筋の流れとなって南下していく。
 登山道とクロスする箇所の中ノ谷は、水量も少なく渡渉は容易い。中ノ谷を越え穏やかな峠にさしかかると、七ツ池の標識が見えてくる。七ツ池は、雨の後に現れる複数の湿原からネーミングされているようだが、現在、登山道沿いにそうした湿原は見られず、登山道から外れた森の奥深くに幻の湿原を想像するしかない。地図を拡げると、七ツ池辺りからドライブウェイは北上し登山道から大きく離れていく。したがって、緊急時には、ここからドライブウェイを目指すと辿り着くことができる。
 七ツ池周辺には、防鹿柵も見て取れるが、ニホンジカの立入を拒んだ柵内の林床植物を観察してみよう。柵外のミヤマシキミ一辺倒の林床に対して、次世代の多種多様な広葉樹が繁茂している。ここ西大台にとっても、ニホンジカの食害は例外でないらしい。10月下旬の紅葉シーズンに歩いた時は、牡鹿の求愛ための鳴き声(ラッティングコール)が聞こえてきた。ニホンジカの発情期である。
 開拓跡までの登山道沿いにはブナの巨木が多く、樹皮が桜の木に似たミズメ(別名:ヨグソミネバリ)もよく目にする。やがて、大和谷に近づいてくると、登山道と十字交差する木材搬出路跡が存在する。以前にレールを見つけたのでおそらくトロッコを使って搬出していたと思われるが、そのつもりで目を開いていないと通り過ぎてしまう。数メートル幅の整地されたトロッコ道跡が北へ南へと延びている。

大蛇ーから見た西ノ滝、中ノ滝    
 
七ツ池   七ツ池付近の防鹿柵
 
木材搬出路跡   ヤマト谷
 
 
 
   

 
   

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