Mountain Guide
                         くりんとの登山ガイド

           
   
 松浦武四郎と歩く大台辻・キワダズコ

経ヶ峰に建てられた武四郎の「經塔石」

【大台辻・キワダズコ】
 初回の松浦武四郎一行は、伯母峯を経て大台辻、黄蘗岡(キワダズコ)、小池岳、そして、経導師(経ヶ峰)へと稜線を進んだ。3回目は、西原村から辻堂山に通じる尾根を登っており、橡清水・鳥のはた・辻堂跡・大台辻・黄蘗項・夫婦石・塩葉辻・経塔石といった地名を順に記している。
 現在の「大台辻」は、川上村からの筏場道と台高山脈上の尾根道の交差点を指して言うが、武四郎の日誌に記している「大台辻」はそれとは異なる。昭文社の山と高原地図には、「旧大台辻」という名称で、小処温泉からドライブウェイに上ってきた合流点からさらに500mほど北に下ったところを指している。一方、『和州吉野郡群山記』(畔田翠山著/御所久右衛門編)では、「ドライブウェイの途中、右方の辻堂山からの枝尾根とドライブウェイ沿いの左、稜線尾根との交差点をいう」と解説している。ここでは後者を拠り所にしたいが、となると武四郎の「大台辻」は標高1358m地点となる。 現在、このピークに標識等の人工物は何もない。
 「キワダズコウ」というピークには、1455.5mの三角点があり、県道40号線(大台ヶ原公園川上線)上に示された#96.5と#79の標識を目印に登山口を見つけることができる。#96.5からは約20分で登頂できるが、せっかくだからそのまま#79まで歩いてみた。3度目の日誌に記された「夫婦石」がキワダズコウ〜経ヶ峰間にあるはずなのだが、未だ見当がついていない。
 さて、「キワダズコウ」というカタカナ名では日本語としての意味を察しかねるが、武四郎の日誌には「黄蘗岡」「黄蘗頭高」「黄蘗項」と3種類の漢字をあてている。「黄蘗」は樹木のキハダのことで、この周辺にキハダが多く薬草の採集地だったということだろうか。キハダの樹皮は、和漢薬「陀羅尼助(だらにすけ)」の主原料なのだ。胃薬として重宝されるが、ニホンジカがこの樹皮をかじった跡を何度も見つけている。鹿の胃にも効くらしい。ちなみに、小処温泉側に下りると、「木和田」という在所がある。

【経ヶ峰】
 「経導師」「経塔石」という地名が『乙酉紀行』で記されているが、いずれも経ヶ峰のことである。さらに、「1596年(慶長17)、西京古和谷の“謄西上人”が、ここ(経ヶ峰)で7本の卒塔婆を立て変化物を封じ込めた」という話を武四郎は書き留めている。ただし、『乙酉掌記』では、“謄西上人”ではなく“弾誓上人”と記されており、「1609年(慶長14)に京都の古知谷に阿弥陀寺を開基した“弾誓上人”」という人物なら歴史上の存在している。
 経ヶ峰には、ドライブウェイの#64から登ることができるが、植生保護のため入山禁止となっている。ここには、武四郎が私財を投じて設置させた石標が残っており、正面に「經塔石」、側面に「奥村浅太郎・日下部守亮」、そして「丹誠上人旧蹟」と刻まれている。ここにもまた、“タンセイ上人”が登場する。1708(宝永5)年の『北山由緒書』は、「慶長11年(1606)、タンサイ上人(タンセイをタンサイとなまったか?)は、初めて伯母峯之道を開き、大台山に碑七本立て、それから伯母峯が通行路となった」と伝えている。
 これらから推論できることは、その昔、この地域の道を開くことに尽力した僧がいた。その僧の名は、 “タンサイ上人”として伝わるが、古知谷阿弥陀寺の“弾誓上人”も同時代の僧であり、実際、大台までやってきてこのような徳を積んだかどうかわからないものの、可能性は否定できない。“弾誓上人”伝説がここ大台にも伝わっていると言うのは興味深く、いつからか“丹誠上人”という字が当てられたるようになったと思われる。

【一本たたら(だたら)】
 「伯母峰の一本足」あるいは「一本たたら」という名の妖怪が紀伊山中にいる。この妖怪は、地域ごとに色んなバリエーションに派生しており、ここ大台で耳にする「一本たたら」も語り手によって少しずつ異なる。上北山村ホームページにも、「1982年に聞き語り調査による資料より」という出典のもと、「伯母峰の一本足」が紹介されている。
 ここから引用すると、「象くらい大きな^を、猟師の射場兵庫が伯母ヶ峰で撃った。後日、撃たれた^は猪笹王となって現れ、その鉄砲を探しに来た。そして、そのまま伯母ヶ峰の山の主として棲みつき、一本足のお化けとなって旅人を取って食べたので、伯母ヶ峰を使用できなくなった。そこへやって来た丹誠上人は、地蔵を辻堂に迎え、果ての二十日の一日だけは鬼が出て人を食べてもいいが、その日以外は絶対出てはいけないとして、地蔵に祈願をしたので、再び通行も盛んになった。」とある。
 ここにも「丹誠上人」が登場する。「慶長11年(1606)、タンサイ上人は、初めて伯母峯之道を開き、大台山に碑七本立て、それから伯母峯が通行路となった」とする『北山由緒書』には、「猪笹王」も「一本だたら」も出てこないが、「丹誠上人が安全な伯母ヶ峯の通行」を導いたという点では共通している。

 
尾根沿いの登山道   キワダズコ三角点(別名:白倉又山)
 
経塔石側面には「丹誠上人旧蹟」と刻まれている   登り口には、植生保護のため「入山禁止」の標識
 
大台教会に伝わる一本だたら   「推定大台辻」から辻堂山から続く尾根を見下ろす

    武四郎一行の大台へのルート 備 考
明治18  5/17

天ヶ瀬(八坂神社)→芋穴→天竺平→小舟→大舟→伯母峯→大台辻→黄蘗岡→小池岳→経導師(経ヶ峯)→山葵谷→高野谷→開拓場

伯母峯の地蔵堂倒れて今はなし
経ヶ峰:迷い寒さで震えたき火
古材で作られた野宿小屋(泊)

5/18

開拓場→大和谷→逆川→西ノ滝(銚子口)→大和谷→名古屋谷→座禅石→中ノ滝→東ノ滝→開拓場

小豆粥
5/19

開拓場→高野谷→国見が岳(大和岳)→日本ヶ鼻→如来月→三途の川落(三津河落)→七ツ池→塩辛谷→日出が岳(巴が岳)→正木兀(こつ)→巴が淵(片腹鯛池)

桧皮剥いで仮小屋(雲雀谷の上)
「優婆塞も聖もいまだ分け入らぬ 深山の奥に我は来にけり」

5/20

巴が淵→ほうそ兀→牛石→大蛇倉(ー)→ほうそ兀→白崩谷→二股谷

般若心経
實利行者の小屋・井戸、小屋掛け

5/21 二股谷→木津  
明治19 4/23 大阪府知事に「大台江小堂建設之義御聞置願書」  
5/ 3

祖母谷村→新坂峠→市次郎後家→経塔石→開拓場→牛石→開拓場

前日、祖母谷村大谷伝次郎家(泊)
シュウリ(野鳥の名)

5/4

開拓場→祖母峰→大舟→小舟→天竺平→いも穴→西川→天ヶ瀬

弥一郎宅(泊)
5/8 木津に出立 舟津村の井上藤兵衛宅に泊
5/9

舟津村→河内村→落合→白滝→水越峠(水呑峠)→奥定宮

炭焼き小屋に一泊
5/10

奥定宮→千尋滝→かもすけ谷→平等石→七ツ釜→不動滝→奥定宮→高瀬→中定宮→ちゝの谷(父ヶ谷)→奥大杉村

大杉谷に入山
浅井八重之介宅(泊)

明治20  5/9

西原村→河合村→小橡村→黄蘗村→滝泉寺→西原村

真田八十八宅(泊)
5/10 西原村大西喜兵衛宅 椎茸飯にうんざり、氷豆腐、鯇子
5/11

西原村→向坂→辻→橡清水→鳥のはた→辻堂跡→大台辻→黄蘗項→夫婦石→塩葉辻→経塔石→開拓場→日本が鼻→名古屋谷→三途川落→塩辛谷→小堂(新築)

 
5/12 巴が淵→牛石→大蛇ー→小堂→護摩場

約60名の村人が12時ごろ護摩場に到着、護摩をたく

5/13 武四郎ら6〜7人残る シウイチリーン(さえずり)
5/14

牛石→白岩崩→大蛇倉の下→ちゐの木谷→白崩出合→きわだ小屋→薬師堂→孫瀬村→木組村

 
 
 
   

 
   

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