奈良県の南部、大台ヶ原山から北西に、経ヶ峰(きょうがみね)、伯母ヶ峰(おばがみね)と高く険しい山々が続き、やがて少し緩やかな伯母峰峠へ。
かつて、この峠を、吉野と熊野を結ぶ東熊野街道が通り、最大の難所と恐れられていた。急坂と冬の深雪、しかも、「一本足のたたら」と呼ばれる妖怪も出没したというのだ。
その昔、峠の南、天ヶ瀬に住む射場兵庫(いばひょうご)という鉄砲の名人が犬を連れ狩りに出た。と、山の中で何かが動いた。背中一面に熊笹を茂らせた大猪だった。鉄砲を撃つ。確かに獲物を射止めた手応えはあったが、なぜか動物の姿はなく、血の跡だけが残っていた。
数日後、熊野の湯の峰に、足を傷)めた一人の野武士が湯治に来た。彼は宿の主人に「部屋をのぞくな」と固く言ったが、不審に思った主人がそっと中をうかがうと、寝ていたのは、背に熊笹を生やした大猪だった。主人の驚きの声に目を覚ました大猪の亡霊は、姿を消した。
(※1)
その後、伯母峰峠あたりで一本足の妖怪が村人や旅人を喰うという噂が広まった。目が一つで、大きな赤い口。丸太のような足が一本。やがて街道はさびれ、旅人は難儀した。そこで、丹誠(たんせい)という徳の高い僧が法力で妖怪を封じ込めた。
(※2)ただ、12月20日だけは妖怪の自由に任せるという約束で、今も「果ての20日は峠を通るな」と言い伝えられている。
(文・山崎しげ子/『県政だより奈良』奈良のむかしばなしより)
【※1】この大猪は「猪笹王(いざさおう)」と呼ばれ、地元上北山村の住民によって、現在も祀られている。この大猪と後述の一本足の妖怪との関係は不明である。
【※2】丹誠上人は、伯母峰に地蔵尊を勧請し、経堂塚(辻堂山)に経文を埋めて鬼神を封じてから、ふたたび旅人も通るようになったと言う。(『奈良県史・民俗』より) |