Home 大台自然観察ノート 大台ヶ原の歴史・文化  
 

大台ケ原森林鉄道を探る2 〜トロッコ道跡編〜

【画像14】掘りかけのトンネル跡

【森林鉄道網/元木谷起動所〜ナゴヤ谷インクライン】
 大台山林事業中止からほぼ100年たった今なお、トロッコ道の痕跡は尾鷲道や東大台・西大台各地で確認できる。
 現在、そうしたトロッコ道跡の一部分は登山道として利用されており、東大台では、シオカラ谷吊り橋を渡り階段を北へ登り切ったところから続く東ノ滝東側の登山道がそうである。途中、固い岩盤も掘削され切り通しとして残っている(※画像1)。この道を北進すると、やがて案内板に行き当たり、ここから駐車場まで急階段の上りとなる(※画像2)。しかし、この案内板の裏手をよく見ると、幅1〜2mの平坦な道が林内を奥に向かって貫いている(※画像3)。トロッコ道は、ここから西大台に入りナゴヤ谷インクラインに通じているのだ。さらに、ナゴヤ谷インクラインから北は、西大台の周回登山道と重なり、標高1400mの等高線に沿ってトロッコ道が走っていた。 そのトロッコ道跡は、標高1400mをキープしながら、登山道を大きく北にはずれ林内を貫通していく。この延長線は、七ツ池と開拓跡間の標高1410m付近で登山道と十字交差する(※画像4)
 シオカラ谷に話を戻すと、吊り橋を北へ渡り急階段を登り切ったところで、右手をよく見ると、獣道のようなルートが延びている。環境省設置の標識Y-16が建てられて おり、ここから奥は歩道でなく、ロープが張られ進入禁止となっている。(※画像5)2015年、大台ヶ原パークボランティアの会で、許可を得てこの先を調査した ところ、シオカラ谷に元木谷が合流する河川敷には、かつて、インクラインの起点となる元木谷起動所や挽材工場 と思われる大きな裸地が広がっていた。また、そうした建屋の基礎部分や護岸のための石積みもみられる(※画像6)。 トロッコのレールや車軸付き車輪も散在し(※画像7)、さらに、鉄製の鍋やビン・茶碗の破片など当時の生活ゴミも放置されたままとなっていた(※画像8)。大台ヶ原の山中において、伐採の歴史が残る 爪痕が確かに残っていたのだ。

 

 
【画像1】シオカラ谷手前の切り通し   【画像2】駐車場からシオカラ谷方面に下りてきたところ
 
【画像3】西大台ナゴヤ谷へ   【画像4】西大台の七ツ池〜中ノ谷間
 
【画像5】   【画像6】シオカラ谷
 
【画像6】元木谷起動所跡 【画像6】
 
【画像7】トロッコの車輪と思われる 【画像7】トロッコのレールと思われる
 
【画像8】   【画像9】元木谷

【森林鉄道網/元木谷インクライン】
 「元木谷起動所」の場所は 確認できたが、特定の必要なのは「牛石ヶ原荷卸場」と「白崩木材集積所」の正確な場所。四日市製紙の電話線路予定線図や伐採関係図面には、インクラインが元木谷から白崩まで一直線で示されており、引き続き調査する。
 元木谷起動所跡はシオカラ谷に沿って縦長になってり、最も川下に元木谷(※画像9)が合流するところで敷地の区切りとなっている。元木谷の対岸にも平地が見られるが、元木谷の上流を見ると左岸側に、切り通しのような窪地が一直線に伸びているところがあり、インクラインの軌道跡と 直感で推測できる(※画像10)。 そこを辿っていくと、所々不明瞭になっているが、GPS機能の付いた地図で現在地を確認しながら、直線をキープする。やがて、尾鷲辻〜牛石ヶ原間の歩道に出るが、環境省が設置している標識Y-13がちょうど立っているところであった。緩やかながらもここはちょうど鞍部なっており、白崩側にも広大な平地が広がっている。ここが牛石ヶ原荷卸場と推定して間違いないだろう(※画像11)。1917年6月に 、ここ元木谷−牛石ヶ原間インクラインが完成した。そして、1918年(大正7)8月、牛石ヶ原−白崩間インクラインが延長される。
 白崩木材集積場は山手線軌道の終点にあたり、尾鷲道からトロッコ道跡をたどっていくと、白崩谷の支流を過ぎたところに広範囲な裸地を見つけることができる(※画像12)。真ん中に蛇抜け の跡があり、その西側には磁器のビンの破片など生活の痕跡が散在している 。元木谷起動所のような建屋の基礎跡を探すが、コンクリートの基礎などは見当たらない。しかし、この裸地がインクラインの起点であったことは間違いないと確信する。先の図面では、元木谷起動所まで一直線に軌道が敷かれていることから、この地点と元木谷起動所間に直線を引くと、その直線上に牛石ヶ原荷卸場推定地がピタッとはまった。牛石ヶ原荷卸場については、大正11年に三重県知事に随行した伊勢新聞の記者 が、「熊笹の草原が広がり、そこから十数年盛んに伐採された森林痕跡を目にする」と記述していることから、当時、既に現在とあまりかわらない風景だったのかもしれない。 牛石ヶ原荷卸場〜白崩木材集積場間には、ミヤコザサ草原が広がるものの、ハッキリとしたインクライン跡は見あたらない。

【森林鉄道網/岩井谷〜白崩木材集積所】
 岩井谷から登ってきた山手線軌道は白崩木材集積所が終点であるが、実は、その先もトロッコ道跡が西に延びており、谷を渡る箇所には未だ石積みの橋脚が残ってい たり、切り通しなども見られる(※画像13)。そして、最終的には大蛇ーに近いところでトンネル跡にたどり着く(※画像14)。ただ、砂岩の岩盤は10m程度しか掘られておらず、水が貯っている。計画としては、大蛇ーの尾根下を掘り進み、その後は東ノ滝方面に軌道を進める予定であったようだ。大蛇ー北側にもトンネル跡が残っているそうだが、未だ確認できていない。
 白崩木材集積所に戻って、岩井谷方面へトロッコ道跡を辿る。途中、腐食した枕木が何本か残っている。また、レール杭が打たれたままの枕木も見つけ るた(※画像15)。尾鷲道の白サコで登山道と合流するが、そこから再び登山道と袂を分けて岩盤を迂回する(※画像16)もまた合流。やがて、西側 に沿う低い尾根を乗り越え岩井谷方面に向かうことになる。(※画像17)

 
【画像10】元木谷インクライン   【画像11】標識Y-13より元木谷方面を望む
 
【画像11】牛石ヶ原荷卸場跡(白崩方面を望む)   【画像12】白崩方面に向かってトロッコ跡とも見えるが?
 
【画像12】この広大な裸地が木材集積所跡か   【画像12】金属製の煙突のようなもの
 
【画像12】   【画像13】切り通し
 
【画像13】橋脚跡   【画像15】枕木とレール杭
 
【画像16】    【画像17】岩井谷方面に続く

<備考>
 大台ヶ原には、自然公園法により特別保護区に指定されているエリアが多く、歩道を外れて入山することには制約があるが、このページの調査は、2015年、大台ヶ原地区パークボランティアの会が入山の許可を得て調査したものをベースにしている。
 また、西大台は利用調整地区にあたり、とりわけ入山等の利用条件が厳しい。したがって、西大台における地図上のトロッコ道跡等は、利用可能な範囲での断片的な手がかりや過去の資料等により作成したものである。