【大正11年伊勢新聞の大台山紀行】
大台ヶ原の豊富な森林資源を相賀まで搬出する手段として施設された運搬手段は、『伊勢新聞』大正11年10月21日〜29日の連載記事「秋の大台山」から詳細に知ることができる。同社の漕濱生記者が三重県山脇知事の視察に同行したもので、汗だくになって登るというより、トロッコで運んでもらうなど接待登山に近いものであった。大正11年は、大台林業株式会社の運営に変わっており、大正12年に事業が中止となっていることから、
木材運搬施設もほぼ完成形であったと考えられる。

相賀-----(銚子川沿トロッコ:3〜4人一組になり、犬が先頭で後から人夫
2人が押す)-----木津-----猪ノ谷・・・(徒歩、電光形の樫山登山路、上空には架線)・・・岩井谷-----(トロッコ、途中岩井谷索道あり、再びトロッコ、途中岩井谷隧道あり)-----白崩(貯木場、山手線起動終点)――(インクライン)――牛石ヶ原山頂――(インクライン)――元木谷(挽材工場)・・・大台教会 |

【木材の搬出方法】
○木馬道(きんばみち、きんまみち)
木馬と呼ばれるソリのような荷台に材木を載せ、丸太の上を人力で滑らせて運ぶ。
○トロッコ(軌道)
明治34年に八幡製鉄の操業が始まるが、鉄鋼は高価で、角材の木製レールや角材に鉄板を打ち付けて使っていた時代もあった。鉄製レールの軌間も610mmと762mmがあった。機関車はなく、下りは荷重による自然走行、上りは手押しで、ブレーキは付いていた。空トロッコは、スーパーカブで牽引することもあったようだ。また、伊勢新聞の記者が三重県知事の大台ヶ原視察に同行した際は、トロッコを利用しており、3〜4人一組で乗車し、先頭は犬に引かせ後から人夫二人に押してもらったようだ。
○インクライン
緩やかな傾斜地で物資を輸送する際も、索道ではなくトロッコのような軌道を複線で施設する場合がある。仕組みはケーブルカーとよく似ており、荷重を利用して輸送するものもあれば、曳揚機を使って上げ下ろしするものもある。
○索道
空中に渡したロープ(架線)に輸送用機器を吊り下げ、人や貨物を乗せて輸送を行う。ロープウェイやリフトなども索道の仲間である。

【参考文献】『三重県の森林鉄道−知られざる東紀州の鉄道網−』片岡督・曽野和郎 |