現在の台高山脈の地下深くに生まれつつあったマグマは、やがて地上近くまで登り始める。その頃二上山などでも火山活動が始まり、それと足並みをそろえるかのように大台ヶ原山周辺から巨大噴火が始まるのである。今から1500万年前のことで、噴出した火砕流は大和高原や奈良市・大阪東南部まで達した。曽爾村の屏風岩や兜岩は、溶結凝灰岩などを含む室生火砕流堆積物と呼ばれ、この巨大噴火時の火山灰が火砕流となって山と高原を埋め尽くした時のものである。
この巨大噴火の痕跡を、現在の大台ヶ原周辺で捜してはみるものの、溶岩や凝灰岩層はみつからない。しかし、中奥川(川上村)や蓮川奥ノ平谷仙人滝(松阪市)、大台ヶ原ドライブウェイ上などで火砕岩岩脈が見つかり、割れ目噴火がリング上に連なって起こったということがわかってきた。さらに、リング状の火砕岩岩脈群の内側の岩盤は、外側に比べて500〜600m以上陥没しており、「大台カルデラ(コールドロン)」が形成されたのである。
現在、日出ヶ岳山頂に立ち360度見渡してみても、その外輪山は侵食をうけ「大台カルデラ」のイメージはつかみにくい。せめて、断片的に残る火砕岩岩脈を訪れ、巨大噴火に触れてみてはどうだろうか。
【参考文献】大峰山・大台ヶ原山−自然のおいたちと人々のいとなみ−大和大峯研究グループ著/築地書館
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