Nature Guide
                         くりんとの自然観察ガイド

           
   
 メタセコイアの森「菖蒲谷層」

メタセコイア林(橋本市杉村公園)

   
  種子   樹皮
 

 「生きた化石」として知られるメタセコイアだが、そのキャッチフレーズとは裏腹に、最近では植物園をはじめ公園や学校など公共施設でもよく見られる。落葉高木でそのスタイルが美しいから、遠くからでもよく目立つ。スギ科で大木に育つため、大邸宅でない限り、自宅の庭に植えるととんでもないことになるだろう。
さて、今ではポピュラーなメタセコイアが、どうして「生きた化石」なのか。「メタセコイア」の命名者は大阪市立大学教授三木茂博士である。三木博士は、和歌山県橋本市東家山付近で球果の化石、岐阜県土岐市で小枝の化石を採取して標本とし、新生代の地層から多産するセコイアとは異なる新属として分類して、昭和16(1941)年に学名登録を行った。しかし、その5年後、絶滅したと考えられていたメタセコイアの原生種が、中国で生きたままの木として発見された。こうして、メタセコイアは「生きた化石」として一躍脚光を浴び、その後、中国から苗木が送られ全国に広がった。
 メタセコイアが日本で繁栄していた地質年代は、鮮新世〜更新世前期の比較的温暖な時期で、大阪層群の場合160万年前頃まで繁栄し、氷期の厳しさが増してきた160〜80万年前頃の間に消滅している。メタセコイアとその繁栄期を共にした古植物に、イチョウ、フウ、イヌスギ、オオバラモミなどが見られ、あわせて「メタセコイア植物群」と呼んでいる。現在、日本で見られるイチョウやフウの木は、有史以降、中国から持ち込まれたものである。メタセコイア植物群の消滅と入れ替わるように繁栄し始めたのが、冷温帯上部〜亜寒帯植物群で、チョウセンゴヨウ(チョウセンマツ)、トウヒ、シラビソ、ヒメバラモミ、ミツガシワなどがそれである。最終氷期は1万3000年前頃に終わり、先の亜寒帯植物群は高地へと後退、現在の植生に移り変わった。

 
地質年代 絶対年代 気候 植物(大阪層群)

河成・湖成堆積物

第四紀
完新世
  1万年前 1.3万年前/温暖化始まる    
第四紀
更新世
後期 12万年前 2〜1.8万年前/最寒冷期
7万年前から最終氷期
   
中期 78万年前 寒暖交代の激しさ増す   40〜50万年前
五條層形成
カラブリアン 180万年前 氷床の発達・激化 160〜80万年前
メタセコイア植物群消滅
160万年前
亜寒帯植物化石出現
97〜73万年前
菖蒲谷層最上部から寒冷期植物化石出土
 
ジェラシアン 258万年前   700〜160万年前
メタセコイア植物群繁栄期
200〜100万年前
菖蒲谷層形成
第三紀
鮮新世
後期 360万年前

4千万年前から氷河期
が始まるが、第三紀は
温暖・平穏

 
前期 533万年前  
第三紀
中新世
後期 1160万年前  
中期 1597万年前    
前期 2303万年前    
 

 わが町には中央構造線が走る。中央構造線とは、「領家帯の南縁を画す大断層。部分的には、三波川変成帯と領家帯を分ける断層」と言える。しかし、地表面はそう単純ではなく、中央構造線に沿って、白亜紀後期の海底堆積層である「和泉層群」や更新世前期の河成層である「菖蒲谷層」などが現れる。
 最近になって、和泉層群と菖蒲谷層の断層が見られる中央構造線が金剛山麓に露頭している場所を知った。そのうちの菖蒲谷層からは、「メタセコイアの化石が出るよ」と教えられ、間もなく炭化した植物化石に出くわした。正確な同定は、専門家に委ねないといけないが、私が教えを受ける先生(地質学専門の元大学教授)は、「メタセコイアに間違いないだろう」と判断された。現地は植被が進み、さらなる調査もままならないが、今後、メタセコイアの球果や葉の化石が出てく れば一層確かである。
 ちなみにこの菖蒲谷層は、絶対年代約200〜100万年前に形成された河成層(あるいは湖成層)で、メタセコイア植物群の繁栄期から消滅期と形成時期が重なる。和歌山県の根来寺に近い菖蒲谷層や三木博士が採取した橋本市の菖蒲谷層からは、メタセコイアが採取されており、奈良県側から出ても全く自然である。一方、同じ菖蒲谷層でも時代の下がる上層部(五條市越替)からは、チョウセンゴヨウ、シラビソ、クマノミズキ、サワラなどの冷温帯〜亜寒帯植物の化石が採取されており(1997 百原ら)、絶対年代97〜73万年前頃には、氷期が進み温暖向きのメタセコイア植物群は消滅したと考えられる。

 
 
炭化した植物化石   メタセコイアの樹皮と思われる
 

 こうした調査から、吉野川北岸(現奈良県五條市)の植生をこうイメージしてみた。
 地質年代の第三期鮮新世は絶対年代533万年〜258万年前と区分されているが、その間、約400万年前になるとアフリカ大陸でアウストラロピテクスが産声を上げる。現在の氷河期は4000万年前から始まるが、第三紀は比較的温暖・平穏で、この頃、メタセコイア植物群(メタセコイア、イチョウ、フウ、イヌスギ、オオバラモミなど)の繁栄期であった。
 第四紀更新世(258万年前〜)に入ると低温化が進み、160万年前頃には大阪層において冷温帯植物のチョウセンゴヨウが見られるようになる。菖蒲谷層は、絶対年代約200〜100万年前に形成された河成層で、採取される植物化石から、形成当初はまだ、吉野川(紀の川)北岸はメタセコイアを優占種とする森林で覆われていたと考えられる。更新世中期(78万年前〜)に入ると寒暖の交代が激しさを増し、その前後から菖蒲谷層においても、メタセコイアはすでに消滅、代わってサワラやクマノミズキ、シラカバ、さらには亜寒帯植物のシラビソなどから成る森林に移ったと考えられる。ちなみに、中国大陸では、更新世中期に入って北京原人が現れる。
 日本列島に人類の足跡が見られるのは、約3万2000年前の山下人(沖縄県那覇市)、約1万8000年前の港川人(沖縄県島尻郡八重瀬町港川)、約1万4000年前の浜北人浜北人(静岡県浜松市)などが知られており、いわゆる旧石器時代である。約2万年前の日本列島は、最も寒冷期にあたり、現在よりも8℃ほど気温が低く、大陸とは陸続きであった。東アジアにナウマンゾウが生息していたのもこの頃で、ヤベオオツノジカなどと共に日本列島にも渡り、前述のホモ・サピエンスはそうした大型哺乳類を求めて日本に現れたと考えられる。
1万3000年前頃には最終氷期が終わり、温暖化が始まる(完新世)。日本列島は、いわゆる縄文時代草創期である。九州南端などにかろうじてとどまっていた照葉樹林が、次第に北上し西日本を覆うようになる。約6000年前になると、今より気温は2℃高く、海は今よりさらに内陸部に進出していた。冷温帯落葉広葉樹林や亜寒帯針葉樹林は、東日本や高山に追いやられ、紀伊半島でも大峰山系や大台ケ原にかろうじて残った。そして、約3000年前になると、ほぼ現在の植生と同じになり、西日本は照葉樹林帯、東日本はナラ林帯(冷温帯落葉広葉樹林帯)となる。

 2012年 GWの最中、菖蒲谷にある子安地蔵寺へ花見に出かけた。ここは関西花の寺二十四番「ふじの寺」として有名である。私としては、「菖蒲谷」の名称やその地形の方が気になって仕方がない。帰りがけに、メタセコイアが植栽されているという杉村公園に寄ることにした。南海 高野線御幸辻駅のすぐ近くにあるが、今は訪れる人もまばらで、かつての賑わいが忍ばれる。ところが、狭い進入路をぬけ駐車場にたどり着くと、その眼前の風景に私は 思いがけず興奮した。巨木に育った数十本のメタセコイアが鬱蒼とした林を形成している。ちょうど新緑の季節と相まって、葉の緑が陽光に透かされ美しい。(※上画像)
  もしや、この菖蒲谷層の鮮新世の植生を知っての植栽だとしたら、なんと粋な企てだろう。かつて三木博士が標本として発表したメタセコイアの球果は橋本市出土のものという縁、そして、ここ杉村公園も菖蒲谷層の一画 として、約100万年前にはメタセコイアの森だったという歴史から、その森を再現させてみたというわけだ。早速、この公園を管理している橋本市スポーツ振興公社に問い合わせてみると、当時の橋本市長のご兄弟の方が手に入れたメタセコイアの苗を、「生きた化石」ということで標本的にいくつかの学校や公園に植栽されたということだった。
 どうやら、私は少しイメージを膨らませすぎたみたいだ。しかし、経緯はどうであれ、ここ杉村公園に鮮新世時代の菖蒲谷層の風景が蘇った。GWの最中のささやかな発見です。

 

子安地蔵寺より菖蒲谷遠景

 

【参照文献】
百原新・水野清秀・沖津進:近畿地方南部,菖蒲谷層上部層の前期更新世末寒冷期の大型植物化石群(1997)

 
 
   

 
   

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