紀伊山地の最高峰は標高1914mの八経ヶ岳。この地域は、1週間に10日雨が降ると言われるほどの豪雨地帯である。その八経ヶ岳と向いあう弥山の鞍部に(とは言っても標高は1800m)、梅雨の時期を選んで咲くオオヤマレンゲ(モクレン科)が自生している。少し前までは、この麓に至る交通機関や道路も整備されておらず、修験者たちや一部の登山家の目にしか触れることはなかった。しかも、豪雨となる梅雨の時期の合間を選んでの山歩きであるから、まさに幻の花“天女花”と言い伝えられてたのである。現在は、道路事情もずいぶん改善され、わかくさ国体の時に新たに登山道も整備されたものだから、奈良市内から登山口まで車で2時間、車を降りてからは約3時間の登りとなる。
こうした登山道は大峰奥駈道とも重なっているところが多く、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている。役行者を開祖とする「修験道」と呼ばれる山岳宗教のメッカで、今でも山伏たちが「懺悔懺悔六根清浄」と唱えながら修行に励み、1300年の歴史を持つ古道(pilgrimage
road)なのである。そして、オオヤマレンゲそのものも、国の天然記念物であると共に、世界遺産リストにも加えられている。
前置きは長くなったが、梅雨明け宣言されたその日、その“天女花”に出会ってきた。平均的な満開の時期は、だいたい7月上旬である。この花は少し古風で、蜜を出して蝶や蜂をおびきよせるようなことはしない。無二のすばらしい芳香と無垢の美しさで、虫はおろか人間までもそのとりこにさせる。
ところが、この“天女花”も、最近では地球温暖化や酸性雨といった環境の変化に、少し苦しんでいる。時には、心ない人間が撮影に夢中となって踏み荒らしていく。なかでも、一番問題視されているのが、増えすぎたニホンジカによる食害である。環境省をはじめ奈良県などが、その調査と保護に随分力を入れるようになってきたところだ。実は、このニホンジカの増加の原因として、人間が行ってきたスギやヒノキの植林にもその一端がある。
オオヤマレンゲのためには、かつてのように、修験者のみの目に触れられていた時代がいいのかもしれない。しかし一方で、せっかくの美しい自然と固有の文化をみんなの共有財産として、ここに足を運んでいただく関心と環境整備も大切である。オオヤマレンゲにかかわらず、私たち現代人も、産業基盤や生活スタイルの急激な変化の速さに、大なり小なりストレスを抱えずにはいられない。そうした流れとどう対峙するべきなのか。親鸞聖人は、正にそこに一人ひとりの生きる苦しみと喜びがあると言ったそうである。
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