Nature Guide
                         くりんとの自然観察ガイド

           
   
 二上山と3つの岩石

県指定天然記念物「どんづる峯」

 今から千数百万年前、二上山地域では活発な火山活動が繰り広げられ、噴火は断続的に続き、約1000万年前には終息したようだ。その後は、地殻変動を受けながら、火山噴火物は風化・浸食を受け、現在の2つの峰を持つ山となった。したがって、二上山が火山だったとはいえ、私達が今見ている山容で煙を吐いていたわけではなく、火山の芯の部分だけが取り残されたのが現在の二上山である。
 こうした火山活動の副産物として、金剛山地には珍しく二上山周辺には、火山岩(流紋岩・デイサイト・安山岩・玄武岩)や凝灰岩(火山礫や火山灰の堆積物、火砕流堆積物)などが見られる。香芝市立二上山博物館では、「二上山と3つの石」という切り口で、二上山の噴火によって生み出された火成岩とそれらを利用してきた人の営みを紹介している。

3つの岩石 岩石名 特   徴
サヌカイト 安山岩

〇二上山の北麓から西麓にかけて、旧石器時代から弥生時代までのサヌカイト製石器の原産地遺跡群が存在する。その流通はほぼ近畿地方全域にいきわたり、「二上山文化圏」を形成していた。
○ガラス質の岩石で、打ち砕くと鋭利な刃ができ、石器の代表的な原材料となった。

凝灰岩

火山礫や火山灰の堆積物

〇藤ノ木古墳(斑鳩町)の石棺や高松塚古墳・キトラ古墳(明日香村)の石槨などに利用された。それらの石切場跡もたくさん残っており、万葉の森(太子町)には高松塚古墳に使われたとされる石切場跡がある。
〇県指定天然記念物「どんづる峯」は、二上山の火砕流堆積物(流紋岩質の軽石流)である。古くは古墳の石棺や寺院の基壇などに利用された。
〇鹿谷寺跡(太子町)に見られる十三重石塔は、古代石切場跡を寺院に転用しながら、地山を彫り残して造られている。岩屋も凝灰岩の岩盤を彫って造られた石窟である。

金剛砂
(ザクロ石)

ガーネット

〇二上山産は鉄分が多く、また硬度が6.5〜7.5(ダイヤモンド10)と非常に硬いので研磨剤として利用されてきた。奈良県側では、竹田川に沿う穴虫から逢坂にかけて、大阪側では、太子町の飛鳥川流域で採取・採掘されてきた。

 
屯鶴峯石器工房跡に転がっていたサヌカイト   凝灰岩に埋まっていたサヌカイト(安山岩)
 
岩屋(凝灰岩)   高松塚古墳に使われた石切場(凝灰岩)
 
二上山の凝灰岩に含まれているガーネット   竹田川の川砂に混在するガーネット

【どんづる峯(屯鶴峯)】
 県指定特別天然記念物の屯鶴峯は、山中に突如現れた別世界である。真っ白な岩肌が馬の背のように何筋も続く景観は、和歌山の白崎海岸にも似ている。白崎海岸は石灰岩が隆起したものだが、ここ屯鶴峯は凝灰岩、二上山の火砕流堆積物である。他の凝灰岩とはずいぶん様子が異なるが、二上山博物館の説明によると、「水分に接触したり地表に沿って乱流状態に流れ広がる火砕サージによって生成された地質・地形」とある。正直なところイメージしにくい。(Wikipedia:火砕サージとは、火砕流に似ているが火山ガスの比率が高いため密度が小さく、高速で薙ぎ払うように流動する現象。)
 屯鶴峯には、終戦直前に旧陸軍航空総軍によって掘られた地下壕が、今なお残っている。1945年(昭和20)6月から始まった工事は、同年8月の終戦をもって終えることになるが、たった2ヶ月間で、西壕と東壕の2ヶ所に計2qにわたるトンネルが掘られた。凝灰岩という地質が、工事をはかどらせたのだろうか。西壕は民有地で、いつしか設置されたトンネル入口の柵も壊れたり撤去されたりと風化に任せている。一方、東壕は市有地であるが、京大地震観測所の施設として管理され立ち入りはできない。NPO法人「平和のための香芝戦争展」の方の案内を受け西壕を見学したが、本土決戦に備えた戦闘司令所であったという説明を受けた。この戦争遺構は平和学習のためにも活用されているようである。

地下壕(西壕)    
 
正面の春日山はサヌカイトの産地と伺った  
 
真っ白などんづる峯の凝灰岩    
 
地下壕内   地下壕内のコウモリ
 
 
   

 
   

Copyright (C) Yoshino-Oomine Field Note