Nature Guide
                         くりんとの自然観察ガイド

           
   
  もうすべらせない!亀の瀬の地すべり

明神山山頂から望む

 令和2年(2020年)6月に、「もうすべらせない!龍田古道の心臓部「亀の瀬」を越えてゆけ」というタイトルで、龍田古道と亀の瀬が日本遺産に認定された。「もうすべらせない」とは、約4万年前からくり返されているという亀の瀬の地すべりのこと。
 最も被害の大きかったのが昭和6〜8年(1931〜1933年)の地すべりで、亀の瀬地すべり地内を通過していた旧国鉄関西本線の亀の瀬トンネルも崩壊し、昭和7年2月から11カ月間、約1kmが徒歩区間となった。復旧工事では、亀の瀬地すべり地を迂回した現在の新ルートが左岸側に新設され、旧ルートの亀の瀬トンネルは廃棄された。
 この地すべり被害は日本中の大きな話題となり、昭和7年1月から3月、多い日には1日2万人もの見物客が押し寄せたという。亀の瀬では、紅白幕をめぐらした野店カフェも出現し、「地すべり見学記念絵葉書」も販売され見学ブームになったと、当時の新聞も伝えている。
 国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所による地すべり対策工事は、昭和35年(1960年)から調査を開始し、抑制工と抑止工の両方を用いて対策工事を進め、平成23年(2011年)3月に地すべりを防止するための主な対策工事が完成した。 また、亀の瀬地すべり歴史資料室も令和6年(2024年)4月にリニューアルオープンし、亀の瀬の地すべりを学べる環境も整った。

 亀の瀬周辺は、花崗岩類を基盤岩として二上層群と呼ばれる地層(1600万年前〜数百万年前)形成されている。峠地区では、「亀の瀬礫層」が浸透水等の影響で劣化軟質化(不透水層)し、その上にのっかっている「新期ドロコロ溶岩」との間ですべり面が形成された。一方、清水谷では、「旧期ドロコロ溶岩」の下の地層(基底礫岩層や含花崗岩巨礫礫層の原川累層)が火山活動の後作用で変質(難透水層)して、すべり面が形成された。
(亀の瀬地すべり歴史資料室展示資料参照)

 
排水トンネル工の見学用入口   すべり面の境界地層を見ることができる
 
排水トンネル工内は常に水が流れている   垂直のトンネルの集水井工

 近年、公共施設や土木景観を観光資源と位置づけ、実際に現地へ赴き観光旅行するインフラツーリズムが奨励されているが、こちらもその一環として、ボランティアガイドによるガイドツアーが開催されている。まず、「亀の瀬地すべり歴史資料室」で説明を受けた後、「排水トンネル」に入り、地すべりを防止するための最先端の土木技術を体感できる。そして、クライマックスは、「旧大阪鉄道亀瀬隧道(亀瀬隧道遺構)」である。旧大阪鉄道亀瀬隧道は明治25年(1892年)に完成したが、昭和6年(1931年)の地すべりで大部分が崩壊して埋没し、失われたと思われていた。しかし、平成20年(2008年)、排水トンネルの掘削により、この隧道の一部区間が良好に残っていたことが偶然に発見された。明治時代に造られた煉瓦造りの隧道は、鉄道ファンならずとも必見の価値がある。
 また、昭和6年(1931年)に発生した亀の瀬の地すべりによって、鉄道が大和川の左岸へ迂回された際、特殊な構造で、河川に対して角度をつけて架けられた第三大和川橋梁・第四大和川橋梁の構造は、鉄道ファンに評判である。

旧大阪鉄道亀瀬隧道(亀瀬隧道遺構)
 
地すべり見学記念絵はがき   (亀ノ瀬トンネル西口も、その後、埋没)
 
資料室内のジオラマ(手前、亀ノ瀬トンネル西口)   亀の瀬の名の由来の「亀岩」は花崗岩
 
 
   

 
   

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