【最後に捕獲されたニホンオオカミ】
日露戦争さなかの1905年(明治38年)、
イギリスの貴族ベッドフォード伯爵の出資による東南アジア小型哺乳類収集団の一員として来日した、アメリカの青年動物学者マルコム・アンダーソン(当時26歳)。彼は、旧制第一高校の学生金井清を通訳兼助手として伴い、1月13日、東吉野村鷲家口の宿屋芳月楼(ほうげつろう)に滞在した。そこへ土地の猟師によって持ち込まれてきたのが、
幼体のニホンオオカミらしい
死骸。しかし、本当にニホンオオカミかどうかの確証が得られず売買価格も折り合いがつかなかったため、一度は引き上げられてしまった。このニホンオオカミらしき動物は、数日前、わなにかかっていたところを筏師に撲殺されたという。
後日、再びその猟師が現れ、結局、当時の金8円50銭で交渉が成立し、かなり腐敗が進んでいたため、毛皮と骨格だけがイギリスへ持ち帰られることとなる。その後、この動物は本物のニホンオオカミと鑑定され、現在も、大英博物館に保管されている。これ以降も、「ニホンオオカミを見た」「遠吠えを聞いた」という証言はあるが、捕獲されたものとしては、最後のニホンオオカミというわけである。
【ニホンオオカミの標本】
現在、広く知られているニホンオオカミの剥製や標本としては、和歌山大学、国立科学博物館(東京上野)、東京大学農学部にそれぞれ保管されており、海外では、オランダのライデン自然史博物館にシーボルトが持ち帰った標本と先の大英博物館(ロンドン)にある毛皮、ベルリンの自然史博物館の毛皮などがある。
和歌山大学の標本は、1904年(明治37年)頃、和歌山と奈良の県境に近い大台山系で捕獲されたものといわれ、1980年(昭和55年)に標本を作り直し、現在、
和歌山県立自然博物館に寄託所蔵されている。ただ、写真を見る限り、作り直されたニホンオオカミは、鼻・顎の部分が短く丸みを帯びた顔に作られ、肉食獣に特徴的な突き出た鼻・顎の精悍な顔がなりを潜めているのは残念である。
一方、大淀町教育委員会が保管しているニホンオオカミの頭蓋骨がある。「吉野熊野国立公園の父」と呼ばれた岸田日出男(1890〜1959年)氏が、明治期に上北山村天ケ瀬の民家に入って殺されたニホンオオカミの骨の一部を、戦前に譲り受けていたものである。前額部からのなだらかな鼻筋などの形態は、ニホンオオカミに間違いないだろうと鑑定されていた。そして、2019年、頭骨から骨粉を採取しミトコンドリアDNAを分析した結果、塩基配列がニホンオオカミの特徴を示したという結果も届き、お墨付きをいただいたようである。 |