生駒山で悪事を働いていた鬼の夫婦は、その後、役行者に従い身のまわりの世話を行うようになった。役行者像には、たいがい前鬼・後鬼の2匹の鬼が従えている。やがて、鬼の夫婦は、5人の子供をもうけ、それぞれが前鬼の里(下北山村)に住んで、修行者や信者たちの世話をするようになる。明治の半ばまで、以下の5つの宿坊が存在したようだが、現在は、小仲坊のみが存続し、61代目当主の五鬼助義之さん夫婦が守っておられる。
○五鬼助(ごきじょ) ・・・小仲坊 ※ 現在も存続
○五鬼継(ごきつぐ) ・・・森本坊 ※ 昭和40年代まで存続
○五鬼上(ごきじょう)・・・中之坊
○五鬼童(ごきどう) ・・・不動坊
○五鬼熊(ごきぐま) ・・・行者坊
こうした宿坊の性格は、修験者の世話だけでなく、かつては5つの宿坊からなる前鬼山そのものが信仰を集めていた。池原ダムができ、現在の林道がつくまでは、信者は前鬼口や池原から1日かけて山越えをしてきたらしい。
修験者のメッカ「大峯奥駈道」は、熊野本宮大社から吉野山金峯山寺を経て柳の宿まで「大峯山七十五靡」を巡礼するものである。その靡の多くが大峰山系の尾根伝いにもうけられているのに対し、稜線から外れた前鬼の里周辺には、「三重(みかさね)の滝」をはじめ10以上の靡(なびき)が伝わる。
よって、今は人の足が遠のいた前鬼山の五鬼衆(五宿坊)も、かつては釈迦ヶ岳山頂の釈迦堂を本堂とし、深仙宿の諸仏堂、大日岳、千手岳、蘇莫岳、三重滝、両界窟などの行場一帯を維持・管理する役割を担っていたと考えられる。
◇28番「三重の滝(みかさねのたき)」※前鬼裏行場
◇29番「前鬼山(ぜんきさん)」※前鬼の里
◇30番「千草岳(ちぐさだけ)」※「二つ岩」の手前
◇31番「小池の宿(こいけのしゅく)」 ※池郷川の上流
◇32番「蘇莫岳(そばくさだけ)」※大峰山系稜線上
◇33番「二つ岩(ふたついわ)」
◇34番「千手岳(せんじゅだけ)」※大日岳の東
◇35番「大日岳(だいにちだけ)」※大峰山系稜線上
◇36番「五角仙(ごかくせん)」
◇37番「聖天の森(しょうてんのもり)」
◇38番「深仙の宿(じんせんのしゅく)」※大峰山系稜線上
◇39番「都津門(とつもん)」※大峰山系稜線上
◇40番「釈迦ヶ岳(しゃかがたけ)」※大峰山系稜線上
【三重の滝】
小仲坊から大峰奥駈道にとりつき釈迦ヶ岳や大日岳などの靡をめざす「表」の行場に対し、28番靡「三重の滝」をめざす「裏」の行場というのがある。
小仲坊から五鬼継の森本坊跡の前を通り、しばらく等高線に沿って「閼伽坂峠(あかさかとうげ)」を目指す。峠には「閼伽坂地蔵(あかさかじぞう)」が祀られており、聞き慣れない名称の語源として、仏様や神様にお供えする水のことを「閼伽水(あかみず)」と呼ぶのは興味深い。
かつては、ここが裏行場の女人結界門であったようだ。峠を越えると急な下り坂となっており、やがて前鬼川の上流にあたる「垢離取場(こりとりば)」にたどりつく。豊富な水量がつくる大きな渕はエメラルド・グリーンと化しているのが、この川の色は前鬼川の特徴でもある。「垢離(こり)」とは罪や穢れのことで、実際ここは、修験者たちが水行を行い身を浄める場となっている。いくつか水行場を知っているが、ここは髄一だろう。
「三重の滝」へは、まだ道半ば。川を渡って対岸の鉄梯子にとりつき、ふたたび等高線沿いに山道を歩く。小さな尾根を越えると一気に「千手(せんじゅ)の滝」まで下るが、ザイルなしには下れない断崖は、現在、立派な階段がとりつけられている。落差50mのこの名瀑に感嘆の声を漏らさない人はいないだろう。西行が詠んだ「身に積る言葉の罪も洗はれて 心澄みぬる三重の滝」(山家集1118)の歌を追体験するには、この千手の滝で、もはや十分な気がするが、「三重の滝」というからにはあと2つ見ないわけにはいかない。実は、一番下流に位置する「不動の滝」の落ち口が、千手の滝のすぐ下手にあり、足下の安全を十分に確保すれば、滝口から少しばかり顔をのぞかせることもできる。落差60mはさすがに足が震え近寄りがたいが。
千手の滝の右手から、滝に沿った山道にとりつきしばらく登ると、この滝の中腹から流水を眺めることのできるテラスが現れる。そこには大小2つの窟があり、それぞれ「胎蔵界窟(たいぞうかいくつ)」「金剛界窟(こんごうかいくつ)」と名付けられている。
役行者の修業場の1つとして伝わり、発掘調査では、金剛界の窟で冬籠もりの行が行われていたことを示す碑伝が発見されている。滝に近い胎蔵界窟には、柄の長い杓子が置かれ千手の滝の聖水を掬うことができる。これらの窟は大峯酸性岩類の石英斑岩で、縦方向の節理を利用して人力で拡張されたのではないかと考えられている。大峰の行場に不慣れな人や熟練者の同行がない場合は、ここで引き返すのが賢明である。行場ゆえ、ここから先、好奇心だけで乗り切れるルートではない。
次に現れるのが、切り立った崖を横切る「屏風の横駈(びょうぶのよこがけ)」(別名:蟻の門渡り)。足下を見ると足がすくみ、この断崖になぜ30pほどの幅で落ち葉が積もり道ができているのが不思議である。渡りきった安堵感の一方で、引き返す勇気に自信がゆらぐ。
続いて高さ20mほどの垂直な岩場が立ちはだかり、金属製の鎖が2本垂れ下がっている。ちなみにそのうちの1本は、前鬼不動坊の別当が1846年(弘化3)に寄進したものであることが、取り付けられた金属板の銘からわかる。これらの鎖や木の根っこを手探りでつかみよじ登る。この「裏」行場最大の難関で、「天の二十八宿(しゅく)」と名付けられている。
この行場を過ぎると、一番上流に位置する「馬頭の滝(ばとうのたき)」に行き着く。ついに、「三重の滝」踏破だ。3つの滝の中では、一番やせた水流だが落差は45m。また、この滝のすぐ下流には千手の滝の落ち口があり、まさに三重連の滝である。ここまで来ると心地よいトランス状態に酔いながら、西行はやっぱりここまで登ってきたのではないかと悟る。
小仲坊の五鬼助さんに描いてもらった絵地図をたよりに、復路は引き返すルートを選ばず、対岸の斜面を登って尾根にとりつき一気に下る。やがて垢離取場に至る山道に戻ることができ、やれやれと安堵感。この裏行場は、ヤマヒルの多いところでもあるので、夏場はヒル対策が必要である。 |