Mountain Guide くりんとの登山ガイド
「天女の舞」に到着すると最初に出迎えてくれる天女
【大峰山系の樹氷】 「天女の舞」への冬山登山は、2年連続となる。前年の2月に登った際は、晴天に恵まれたものの、樹氷は形成されていなかった。いや、主だった樹木の下には、氷の結晶片のようなものが散乱してたから、早朝には発生していたと思われる。太陽が顔を出し気温が上がると、樹氷は溶けて消滅する。 自宅から弥山や山上ヶ岳が望める。積雪期、山頂に雲がかかっていれば樹氷が形成されている確率は高いと察している。願わくば、青空を背景にした樹氷を撮影したいので、午後から晴れてほしい。休日であり、かつ、そんな絶妙な気象条件を待ちわびていては、登るタイミングを逸してしまうので、毎年、回数を重ねていくしか仕方ないだろう。 天川村役場の駐車場は、休日、解放されている。そこから5分ほどのところに、頂仙岳や弥山に至る登山口がある。この登山道は、前半、ひたすら人口林の中の上りで、面白みがない。途中、2本の鉄塔があり、いずれも眺望が開けているので小休止にちょうどいい目安となる。2本目の鉄塔付近から、ブナなどの紅葉樹が出迎えくれるが、やがて坪の内林道と合流する。この付近から、このルート一番の眺望があり、山上ヶ岳、稲村ヶ岳、バリゴヤノ頭、行者還岳などが見渡せる。 林道をしばらく進むと、再び登山道へ戻るが、林道そのものは登山道をまく形で併走しており、やがて登山道と合流する。したがって、雪がなければ林道の方が歩きやすいが、積雪期は、上りはあるものの登山道の方が通行者も多く踏み固められているため歩きやすい。 栃尾辻に避難小屋があり、そこまでくれば天女の舞は近い。オオビヌキ坂を上り、最後に、頂仙岳に至る登山道と分岐するのだが、最近、天女の舞が人気で登山客も多く、踏跡をたどれば自ずと目的地に到着する。 さて、お目当ての樹氷だが、林道を過ぎたあたりから、高木の林冠が真っ白に輝いてたので、期待していた。スキー場のように尾根筋には樹木はなく、踏跡を外れると、膝上まで(約60cm)積もった雪海原が広がり、点在する高木に見事な樹氷が咲き誇り、まるで天女の宴のように踊って見えた。また、針葉樹の高木には、樹氷というよりは葉に積もった雪が凍りつき、モンスターの道化師のようだ。標高1518m地点には、「天女の頂」というプレートも掲げられている。前年は、ソリを持ち込んで楽しむグループが見られたが、今回は、輪かんじきで興じるパーティーがあり、復路は、先の林道も経由していた。
【所要時間】 <往路> 天川村役場・・・(積雪期の林道経由)・・・天女の舞 (約3時間40分) <復路> 天女の舞・・・(林道経由せず)・・・天川村役場 (約2時間40分)
【日輪天女降臨の太柱が立つ】 「天女の舞」という命名こそ、この雪山登山の人気の由縁だろう。標高1915mの八経ヶ岳や標高1895mの弥山は、この時期、恐れ多いものの、その標高400m下の雪山の様相をうかがうことで、少しは近づけたという喜びもある。樹氷は、台高山系の高見山や三峰山が人気だが、大峰山系では、和佐又山とここが比較的アプローチしやすい。大峰山系や金剛山系まで見通せる弥山のお膝元の樹氷群こそ、まるで「天女の舞」の様相ゆえ、その命名由来だろうと想像してみた。 しかし、話はそう単純ではないようだ。登山口の川合から天ノ川沿いに車で5分ほど南下すると、坪内という集落に大峯本宮「天河大辨財天社」が鎮座する。主祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)であるが、元は辨財天で、神仏分離により「市杵島姫命」と称するようになったようだ。60年に一度開帳される辨財天に、私もお目にかかったことがあるのが、記憶の宝物である。 天河大辨財天社のWebsiteによると、室町期の傑僧多門院英俊の日記に、以下のような一節がある。 「天川開山ハ役行者 −マエ立チノ天女ハ 高野 大清層都コレヲ作ラシメ給フ」 私なりの意訳だが、「大峯山は役行者によって開山され、大峯蔵王権現を感得した。しかし、その前に、勧請されたのが天河大辨財天であり、弥山(大峯山)の鎮守として祀られている。弘法大師は、大峯山での修行によって、高野山を開山することができた。」と解してみた。 役行者や空海の縁跡を慕い、ここ天河社が「大峯第一、本朝無双、聖護院、三宝院両御門跡御行所」(天河社旧記)となり、門跡入峯にあたっての必修行程には、天河社参籠があったという。その過程で、天河社縁起に言う「日輪天女降臨の太柱が立つ」という感得がみられたのかもしれない。 つまり、天河大辨財天社の主祭神は、歴史的には辨財天であり、弥山奥宮には辨財天が祀られてきた。(天河大辨財天社Website「略縁起」画像参照)奥宮に参拝する際は、この度の登山ルートが用いられたという。峯中修行の成就の証として、大峯蔵王権現と共に、天河大辨財天 が降臨してきたその有様こそ、まさに「日輪天女降臨の太柱が立つ」である。私感だが、「天女降臨の太柱が立つ」とすれば、銀色の世界と化した「天女の舞」の山肌こそ、ふさわしい 場所の1つと言える。 あるいは、奥宮参拝の折に、この地で何かしら催事が行われたのだろうか。辨財天は、「川の流れの妙なる様を神格化したとされる、古代インドのサラスヴァティー神であり、その本来の神徳は水の神、そして、水せせらぎの如く素直で妙なる弁舌や音楽の神である」としている(天河大辨財天社Website)。したがって、天河社は、古くから能楽と深く関わってきた歴史もあり、芸能の守り本尊として も今なお信仰を集めている。また一つ、天女が身近になってきた。 さて、それまで曇天だった空は、いつしか青空が覗くようになり、陽光が樹氷の林冠を照らし出した。溶け始めた樹氷の水滴が陽光を反射させ、きらきらと輝く。 ここに日輪が現れた。未だ修行の入口を覗いてるにすぎない私には、天女降臨はここまでだろう。
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