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                         くりんとの登山ガイド

           
   
  【百貝岳】黒滝村地蔵峠より花の奥千本をめざす

奥千本(2018.4.8.)

 吉野山には、3万本ともいわれるシロヤマザクラが咲き乱れるが、標高があがるにつれて下千本、中千本、上千本、奥千本と呼び名を変えて桜前線も上昇していくため、例年、4月上旬から数週間にわたって楽しむことができる。これらの桜は、観光のために植えられたものでなく、修験道の隆盛と共に、桜の木で刻まれた蔵王権現を本尊とする金峯山寺への参詣もさかんになり、御神木の献木という行為によって桜の山となったのである。
 ソメイヨシノはクローン桜だから、一斉に咲いて一斉に散るが、ヤマザクラは1本1本遺伝子が異なり、それぞれ花の色や開花時期が異なる。吉水神社から眺める一目千本桜は、パレット広げたような色彩の豊かさが特徴で、日本一という称号は決して恥ずかしいものではない。
 さて、日本一の桜ともなると、シーズン中の花見客の賑わいや交通網の混雑ぶりは、奈良県南部といえども例外ではなく、正直興ざめてしまう。ただ、近くに住み地の利を知る者として、みすみす大混雑に巻き込まれに行くようなことはできない。そこで、早朝を制すというのが、一番簡単な方法である。休日と満開が重なったとしても、午前7時までに中千本まで車を走らせると、経験上まず駐車することができる。また、奥千本の開花期にあわすなら、水分神社より上はずいぶん人の賑わいも少なくなる。

 さらに、山登りが苦手でない人には、もう一つお薦めの方法がある。黒滝村鳥住の鳳閣寺付近まで車で行き、そこから山道を約1時間歩くと、西行庵のある奥千本付近に出ることができる。
 かつて県道48号線は地蔵峠を通っていたが、1991年に地蔵トンネルが開通し、今は通りゆく車もまばらな旧道となっている。地蔵峠には、その名の通り立派な祠に地蔵が安置されている 。こちらの地蔵菩薩は、空海が日韓唐の土を集めて造ったのが始まりと言い伝えられているが、現在祀られているものは江戸時代の造立である。この峠の三叉路を西へとり車道を進んでいくと鳥住春日神社があり、その手前の少し広くなった路肩に駐車スペースがある。そこから徒歩となるが、いきなり急勾配のコンクリート舗装道路が待ち構えているが、上り詰めると鳳閣寺がある。
 この寺院は、役小角が開き、895年(寛平7)に聖宝(理源大師)が中興したとされる。聖宝には、役小角以降途絶えていた修験道を再興したとする伝承があり、当山派(醍醐寺三宝院)修験道の祖とされている。毎年6月9日には、山伏一行が洞川から小南峠、地蔵峠を経て鳳閣寺に赴き、三宝院門跡を迎えて百螺山鳳閣寺大祭柴燈護摩法要が営まれる。普段は、鳥住集落の人たちによって管理されているものの、訪れる人も少なく、本尊の如意輪観音や聖宝理源大師像、蔵王権現像の鎮座する本堂は閉ざされたままである。
 鳳閣寺は、百貝岳(863m)の山腹に位置し、山頂へは北からと南からの進入路がある。寺の境内の東側に進んでいくと、そのルートの1つがあり、途中、鳳閣寺廟塔(重要文化財)に参拝できる。聖宝が京で亡くなったその日に、ここ鳥住の山中でその姿を見かけたという伝承があり、この地にも、聖宝の廟塔が祀られたらしい。台座の刻銘より1369年(正平24)に薩摩権守行長によって作られたことがわかる。
 百貝岳は百螺岳とも呼ばれ、聖宝が宇多上皇の勅命を受け、この山頂から法螺貝を吹いて、大峰山を閉ざしていた大蛇をおびき寄せ、法力をもって呪縛したと伝わるが、その貝の音が百の法螺貝を吹き鳴らしたように山々に響き渡ったというのが山の名の由来となっている。

 鳳閣寺が標高700mで、向かう先の金峯神社も標高700m。数字上は、ほとんどアップダウンがなく奥千本に到達できることになる。行き交う登山客もまばらで、桜の季節には、足下にヒトリシズカの群落が出迎えてくれる。また、コウヤマキの人工林が多いのも特徴だ。木立の隙間から花見客の賑わいが漏れ聞こえてくると奥千本も近い。
 ここから先は、その時の開花状況にあわせて、そのまま上千本・中千本まで下るのもよい。奥千本にも、西行庵や苔清水、青根ヶ峰や安禅寺宝塔院跡、金峯神社や義経隠れ塔など名所旧跡も多い。ただ、残念なのが肝心のヤマザクラが少ないと言うことで、西行庵周辺のみに数えきれるほどの本数しか残っていない。安禅寺宝塔院跡に続く道から眺めるとそれはそれで美しいのだが、上千本や中千本の絢爛さには到底及ばない。
 ただ、奥千本の桜を再生しようと、地元住民らによって 2009年に一般財団法人「22世紀吉野桜を愛でる会」が設立され、全国から献木で募った桜の苗が、これまでに(2019年)2000本植えられた。3〜4年以内にはさらに2000本植樹し、10年後をめどに順次開花する予定だという。(令和元年5月19日付奈良新聞より)実際、人工林が伐採され裸になった山肌には、添え木や防鹿柵に守れた桜の苗木が目立つようになった。商店や旅館が立ち並ぶ中千本地区とは異なり、大峰山系の見渡せる深い山間を彩るヤマザクラを想像すると、それは新たな吉野山の魅力となるだろう。
 西行や芭蕉が訪れた奥千本、万葉集に詠まれた青根ヶ峰など魅力の多いところだが、本居宣長が『菅笠日記』(1772年)に記したところによると、当時は、コウヤマキの多い場所だったという。面白いのは、義経隠れ塔も薦められたが、この手の伝説は胡散臭いので興味を示さなかったようだ。ただ、当時も、すこし平らな所に一丈ほどの仮庵があったと記しており、この時の西行庵と苔清水は訪れている。
 吉野山から熊野本宮大社まで七十五靡を巡礼する大峰奥駈は、75番の靡「柳の宿(吉野川)」を出発して、72番「水分社(水分神社)」、71番「金精大明神(金峯神社)」、70番「愛染宿(宝塔院跡)」と進めてきた。安禅寺宝塔院跡というのは、明治の廃仏毀釈まで、多宝塔、四方正面堂、安禅寺蔵王堂など見事な大伽藍のあった寺院で、この蔵王堂の本尊蔵王権現立像(重要文化財)は、現在、金峯山寺蔵王堂の内陣に客仏として安置されている。かつては、この寺院を背に、次の69番「二蔵宿」をめざしたわけだが、すぐに青根ヶ峰の山頂付近にさしかかり、山道には「従是女人結界」と刻まれた石碑が建つが、本居宣長もそのことを記している。厳しい奥駈の行を前に、草鞋の紐を締め直した場所だと想像するが、大峯山寺を擁する山上ヶ岳に続く峰々がはるか南の空まで続き、蔵王権現に出会うための旅がいよいよ始まるのである。

 
地蔵峠   地蔵菩薩
 
青根ヶ峰付近   植樹が進む西行庵周辺
 
鳳閣寺から奥千本への林道   百貝岳山頂
 
鳳閣寺廟塔   鳳閣寺
 
 
   

 
   

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