Mountain Guide
                         くりんとの登山ガイド

           
   
  大峯酸性岩類の露頭・前鬼から深仙の宿へ
大日岳
釈迦ヶ岳東壁の五百羅漢(二つ岩より)

 小仲坊行者堂の左手から登山道を入るとすぐに、かつての宿坊跡の石積みが廃城のように何かを語りかけてくる。建物が取り壊されてから100年もの間に、屋敷跡の針葉樹が大木に育ち、かつての賑わいを忍ぶことはできない。さらに登ると、涸れ沢に沿って今度はトチノキの大木が現れる。9月下旬に歩いた時は、足下にトチの実が無数に転がっていた。これらのトチノキの大木は、「前鬼のトチノキ巨樹群」として奈良県指定の天然記念物となっているが、登山道沿いには、マザー・トゥリーと称すべきような巨木は見当たらない。神木は、知る人ぞ知る谷の奥に鎮座しているのだろうか。
 トチノキ帯を過ぎる頃から等高線が狭くなる。また、岩石が露出して足場も悪く、荒い息と共に汗が噴き出してくる。大木に代わって巨岩が視界に入ってくるが、1時間余り経て、ついに33番目の靡「二つ岩」に到着する。2本の指を立てたVサインあるいは理科の実験で出会った音叉のような形。自然のなす技とはいえ、先人はここに神仏を見いだし、不動明王の眷属(けんぞく)の「矜羯羅童子(こんがらどうじ)」「制多迦童子(せいたかどうじ)」と称した。二つ岩の基部を周ることができ、眺望のきく斜面側からは、釈迦ヶ岳とその山腹に広がる五百羅漢(ごひゃくらかん)の岩塔群を望むことができる。 釈迦ヶ岳は「釈迦如来が霊鷲山で説法している時の姿によく似ている」のでこう呼ばれるようになったという。
 ここからさらに1時間、ついに大峰山系の稜線にとりつくことができ、この交差点を「太古の辻」と呼んでいる。北側を見上げると標高1,568m35番靡の大日岳が烏帽子のようにそびえ、南には標高1,521m32番靡の蘇莫岳(そばくさだけ)、両峰の鞍部あたるところが「太古の辻」である。

【大日岳】
 全国には、大日岳、大日ヶ岳、大日山と称する峰が多数点在し、ここでもかつて隆盛した大日信仰が読み取れる。奈良県内では、稲村ヶ岳の隣の大日山、金剛山に大日岳、そしてここ大峰山系の大日岳がある。最澄(天台宗)や空海(真言宗)が唐から持ちかえった密教は、日本古来の山岳信仰と結びつき「修験道」という独自の宗教に進化した。そうした経緯もあって、密教において最も重要な存在である大日如来は、しばしば修験道の行場に安置されることが多い。この大日岳の山頂にもやはり大日如来が鎮座する。こちらの仏像も、釈迦ヶ岳の釈迦如来像と共に強力の岡田雅行が運び上げたといわれている。
 大日岳の登り口は北斜面にあり、急斜面の岩場が象の鼻のように30mほど立ちはだかっている。かつては、1857(安政4)年にとりつけられた銅の鎖で登る行場であったが、聖護院の場合は平成13年以降中止しているそうだ。いかにも安定の悪そうな板状の岩石が鱗状に積み重なっており、「先達なしにこの行場にとりつくのは危険」という小仲坊の五鬼助さんからも助言を受け、右側の迂回路をとる。しかし、こちらも岩場にとりついた木の根っこをたよりによじ登るあなどれない行場である。

【深仙の宿】
 尾根上の露岩「五角仙(ごかくせん)」や「聖天の森(しょうてんのもり)」をぬけると、38番靡「深仙(じんせん)の宿」に到着。釈迦ヶ岳と大日岳に挟まれたこの鞍部は、灌頂堂を中心に行者や登山者の安息の場である。灌頂堂には役行者らをお祀りしており、本山派の修験では最も大切な伝法潅頂の儀式が行われる聖地でもある。現在は、灌頂堂と避難小屋が建つのみだが、江戸時代後期には本堂(護摩堂)を中心に宿坊が2ヶ所あり、灌頂堂も現在の髭塚辺りにあったという。(『奥通り万記』より)
深仙の宿から釈迦ヶ岳南壁を望むと巨大な露岩が4つ並び「四天石(してんせき)」と呼ばれている。向かって左から広目天・増長天・持国天・多聞天となるが、ここでは香正童子・役行者・聖天・財天にもなぞらえているようである。その香正童子のへそ(中腹)から、「香精水(こうしょうすい)」と呼ばれる聖水が湧きだし落ちている。潅頂の儀式の際、師匠が弟子の頭にかける閼伽水としてこの水を使うそうだが、一説には、「この水にラジウムや金が含まれていて数年は腐らない」とか「眼病に効く」「この水で刀剣をぬぐえば錆びない」などいう話も伝わる。大峰山中を歩く登山客は、こんなありがたい水を水筒に補給し、文字通り力水としている。
四天石の前に「神変大菩薩髭塚」の碑がある。役行者が髭を剃り、前鬼・後鬼にこれを形見として与え入唐したとされている。
 この岩をはじめ、東壁には「五百羅漢」、またこれまでにも「二つ岩」や「五角仙」など巨大な岩石がいたるところに露出しており、この周辺の風景を特徴づけている。地質学的にいうと、釈迦ヶ岳周辺は四万十帯(砂岩などの堆積岩からなる付加帯)に属しているが、中新世の激しい火成活動によって大峯酸性岩が貫入し、その周辺は熱変成を受けている。大峯酸性岩には、花崗岩や花崗斑岩からなる“大峯花崗岩類”と、石英斑岩を主とする“大峯噴出岩”の2つに大別される。

【釈迦ヶ岳】
 深仙の宿から釈迦岳山頂まで1時間弱。大峰奥駈本道ゆえの千数百年の歴史を踏みしめながら急坂を登る。途中、右手に39番靡「都津門(とつもん)」が見える。予備知識なしに登るとスルーしてしまいがちだが、ここも大峯酸性岩類が露出した断崖で、よく見るとその岩の壁にぽっかりと穴が開いていて、向こうの景色が覗いている。かつて修験者たちは、胎内くぐりの行場として挑んだそうだが、昭和35年を最後に中止されている。この岩礁は、縦横に節理の発達した石英斑岩からできているそうで、レンガを積んだような状態になっている。したがって、小さな穴か窪みをきっかけに人為的に作り出した岩穴ではないかと考えられている。
 十津川旭登山口からのルートと合流すると、やがてダケカンバがお出迎え。ダケカンバは亜高山帯の上部、森林限界付近に見られ、近畿及び紀伊山地でも、ここがほぼ唯一の自生地である。若木では赤褐色から灰褐色でサクラのような光沢があって美しく、シラカバのように薄い樹皮が横にはがれ、識別しやすい。
 山頂には、 釈迦ヶ岳のシンボル「釈迦如来」が鎮座する。この釈迦如来像は大正13年、大峯の強力岡田雅行(オニ雅)が一人で担ぎあげたといわれている。江戸時代には、釈迦・文殊・普賢の木像を安置する一間半四方の四阿伊達建て釈迦堂があったらしい。さらに釈迦堂の前には三間に一間半の籠堂もあり、途中茶店もあったというから驚く。(『群山記』より)標高1799.9mの釈迦ヶ岳山頂からは、北に延びる大峰山脈の稜線が望め、その延長線上に八経ヶ岳や弥山が鎮座する。私は、宇無ノ川渓谷を挟んで屏風のような岸壁でこちらを見据える七面山に一目ぼれ、次なる機会を見据えている。

   
四天石の1つだがモアイ像のようにも見える   二つ岩   香精水
 
都津門   ピンク部分が大峯酸性岩類
 
 
 
   

 
   

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