Mountain Guide くりんとの登山ガイド
大天井茶屋跡から北を望む
大峰奥駈道は、吉野山と熊野三山を結ぶ修験道の行場であるが、厳密にはその間の「大峯七十五靡」を踏破することで行が成就する。熊野から目指すのが順峯(じゅんぷ)、吉野山からだと逆峯(ぎゃくふ)と呼ばれ、宗派によって異なる。現在、大峯修験道の宗派には聖護院(本山派:天台宗系)、醍醐寺(当山派:真言宗系)、金峯山寺(金峯山寺修験本宗)があり、桜本坊・東南院(修験本宗)、喜蔵院(本山派)、龍泉寺(当山派)、竹林院(天台系単立)の五寺が大峯山寺の護持院となっている。 全行程を踏破するにはハードルが高いので、その短縮形として、吉野山〜前鬼間を歩く行程がある。一方、吉野蔵王堂と大峯山寺を往復する百日回峰行や千日回峰行という至難の修業もあり、成就者は大阿闍梨となる。これらは修験者たちに任せるとして、一般人が疑似体験をする行に、洞川〜大峯山寺もある。私的には、せめて吉野山〜大峯山寺間を「一日回峰行」と銘打ってチャレンジしたいと思うわけだが、未だ成就できていない。 ところで、ここに「林道吉野大峯線」という存在を知る。吉野山奥千本にあたる金峯神社の東側を迂回して、アスファルト舗装の林道が南にどこまでも伸びる。青根ヶ峰、四寸岩山、大天井ヶ岳といったピークが連なる大峰山脈に併走し、五番関付近でトンネルを経て洞川(天川村)に下る。古道を歩かずとも、アスファルト舗装の林道を車で行けば、奥駈ドライブウェイを楽しめる。一方、吉野山〜大峯山寺を結ぶ本来の大峯奥駈道(吉野古道・新道)は残るものの、ところどころで林道と交差したり車道に重なってしまったところもある。 さて今回は、この林道を使って車でアプローチしながら、四寸岩山、大天井ヶ岳それぞれのピークを登った。
【青根ヶ峰858m】 金峯神社から宝塔院跡を通り、青根ヶ峰付近まで来ると女人結界の標石(1865年)が建つ。1970(昭和45)年までここが山上北面の女人結界門であったが、現在は五番関に移っている。標石の左を登れば山頂だが、修験者たちはそこを経由することなく、右の道をとり四寸岩山に到る。 青根ヶ峯の手前に安禅寺跡の表示があり、かつての大伽藍の面影ないものの、ここが第70番靡愛染宿とされている。 【四寸岩山1235.9m】 林道吉野大峯線は、この山の稜線から100mほど下を併走しているため、林道からところどころ稜線を仰ぎ見ることができる。林道との交差点である試み(心見)茶屋跡付近から四寸岩山のピークを経て百丁茶屋跡で再び林道に戻るが、この間約1時間半余り。南下する前半は、急坂に加え人工林に覆われた山道はあまり面白みがない。 江戸時代の『細見記』には「両方ヨリ岩出テクイ違、細キ所ヲ越ル道アリ。是レ薊嶽」という記録が残り、かつては「薊岳(あざみだけ)」の名もあったようだ。そして、道は岩の割れ目を通っていたようで、これが現在の「四寸岩山」のいわれと考えられる。その四寸岩らしき白い 石灰岩が確かに山頂に見られるが、土に埋まり先の記録のような風景はない。山頂の西斜面は、植林のため伐採されており眺望がきく。南に目をやると、尾根沿いに大天井ヶ岳、さらにその背後にひときわ大きい山上ヶ岳が巨人のように鎮座する。山頂から南に向けては、ブナを中心とした落葉広葉樹林帯となり、後半のルートは足取りが軽い。手入れの行き届いた足摺小屋 に到着すると、ここには石灰岩の露頭が墓石のように乱立し、雨水による浸食が見られる。これをカレンフェルトと呼び、行者還岳南側にも見られる。ここを通過すると、眼下に垣間見られる林道が徐々に近くなってくる。林道との交差点が百丁茶屋跡である。ここから先は、大天井ヶ岳を目指すこととなる。 さてと、今回は四寸岩山の登頂のみとして、車をおいた試み(心見)茶屋跡まで、アスファル舗装の林道を戻ることにする。林道だと早いのかと思いきや、結局、所要時間は約1時間30分。奥駈道のアップダウンを歩いた時間とほとんどかわらない。まして、ほぼ平坦な林道は退屈なような気もする。 ところが、7〜8月の時期は、チョウの観察を楽しみにしている。標高1000m付近の林道沿いの水場や道路上の動物の糞には、ヤマキマダラヒカゲやクロヒカゲなどが集まる。また、山際に開花したヒヨドリバナには、その蜜と共にピロリジジンアルカロイドを摂取しようとするアサギマダラが訪れる。アサギマダラは渡りをするチョウとして知られ、この時期、九州以南から北上してきたものが、避暑地を求めてこうした山地や高原にやってくる。吸蜜中、時折翅を広げて風を入れているのであろうか、美しい浅葱色が目に入るシャッターチャンスである。
四寸岩山頂より南を望む
【大天井ヶ岳1439m】 私の住まい(金剛山麓)から、大峯山系がパノラマのように望むことができる。積雪期、南には真っ白な弥山の頂、少し東に目をやると稲村ヶ岳や山上ヶ岳、さらに東には屏風のような山並みが続く。この屏風のような山脈には、円錐形のピークが1つ象徴的に目に入る。地図上から大天井ヶ岳と見当を付けたが、実際に登ってみなくては確証は得ぬと、長年の懸案であった。 林道吉野大峯線を車で走り、大峯奥駈道と交差している百丁茶屋跡から大天井ヶ岳をめざす。出発してすぐに二蔵宿小屋が目に入る。主に修験者たちが利用するのだろうか、手入れが行き届いている。 山頂まで1時間半弱の上りが続く。 話はそれるが、高野山開創1200年(平成27年)にあわせて、「空海の道」吉野山〜高野山間ルートを蘇らせようとする「NARA弘法大師の道PROJECT」というのがある。詩文集『性霊集』の中の「少年の日に吉野山から1日南行し、さらに2日間歩いて高野山に至った」という記述が根拠で、すでにその選定は終えているようだ。したがって、今回紹介している奥駈道には、KOBO TRAILと印刷された白いビニールテープが、あちこちに巻き付けられている。吉野山から大天井ヶ岳間は、奥駈道を「弘法大師の道」に重ねており、少々過剰な白テープの目印が、大天井ヶ岳山頂まで導いてくれる。大天井茶屋跡は拓けており、茶屋跡の雰囲気が今なお読み取れるが、ここから山頂までは急坂となっている。私の住まいから見える円錐形の美しい山容の一辺をなすのがこの登りだと悟る。こちらの山頂は樹海で覆われ、眺望はきかない。KOBO TRAILとはここでお別れ、空海はここから高野山のある西に折れ、小南峠〜武士ヶ峰〜陣ヶ峰〜天辻峠を目指したらしい。 現在、修験者たちはこの山頂を登らず、二蔵宿から大天井ヶ岳の東斜面を通る平坦な吉野新道を使う。この道は明治末以降に開削されたそうで、直接五番関に通ずる。女人結界 門は、1970年(昭和45)に青根ヶ峰よりここ五番関に移されたそうだが、その経緯の1つとして、四寸岩山と大天井ヶ岳の女性登山客への開放のため近鉄も申し入れたという。五番関には、大峰山寺による女人禁制の理解を求める看板が立 っていた。 (※五番関から山上ヶ岳へは、別頁に掲載。)
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