Mountain Guide
                         くりんとの登山ガイド

           
   
  大和富士・額井岳からオハツキイチョウの戒長寺へ
額井岳

 日本各地に「ふるさと富士(郷土富士)」なるものがあり、その山容が富士山に似ることから「近江富士」とか「讃岐富士」とか親しみを込めてそう呼ばれている。実は、奈良県にも「大和富士」なるものが存在することを、宇陀松山城に登った時に初めて知った。宇陀市榛原額井にある額井岳(ぬかいだけ)がよく見通せたのだが、奈良盆地周辺ではなく、大和高原の真ん中に位置しているため、県民にはあまり知られていない。この大和富士の山頂は、確かに美しい円錐形をしているものの、左右にも小さなピークがあり、「山」という象形文字の成り立ちを説明するには、この上ない山容である。
 ちなみに私見だが、奈良盆地には「大和三山」と言って畝傍山(198.8m)・耳成山(139.6m)・香具山があり、前者2峰は標高こそ低いものの大和富士の形容にふさわしい形をしている。また、江戸時代の紀州の文人祇園南海(ぎおんなんかい)は、自身の漢詩帖『五條十八景』(1704年)で高見山の姿の尊さを「小富士」と例えている。東吉野村にある霧氷の美しい高見山(1248m)だが、最近では、そのピークの鋭さに「関西のマッターホルン」という異名もある。
 額井岳の南山麓には、立派な五輪塔が鎮座し、万葉歌人の山部赤人の墓と伝えられている。赤人と言えば、「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」(巻3-318)と富士山を詠んだ歌が有名であり、その分、こちらの額井岳に「大和富士」称号の軍配が挙がったのかもしれない。

 額井岳に登るには、宇陀市榛原額井にある十八神社の登山口が一番近い。30〜40分で山頂に立てるが、さすがに最後は想像通りの上りとなる。山頂には竜王社が祀られており、雨乞いの神として信仰を集めている。三角点と共に休憩のための東屋が併設されている。
 額井岳から尾根伝いに戒場山(737.6m)を経由して戒長寺を目指すことにする。戒場山までは、約60分ほどアップダウンを繰り返すことになるが、戒長寺オハツキイチョウの紅葉の時期を狙ったので、登山道もコナラなどの紅葉が美しくし降り積もった落ち葉も心地よい。戒場山頂上には三角点ぐらいしかない。ここから戒長寺まではすぐだ。

 
十八神社   額井岳に向かう登山道
 
額井岳山頂   戒場山山頂

 戒長寺は、戒場山の中腹に位置する山寺だったのかもしれない。現在は、お寺まで自動車道が通じている。現存する本尊木造薬師如来坐像は、平安時代後期(11世紀頃)の作とされており、遅くともその頃には創建されていたようだ。
 人里から少し離れているため普段は人影も少ないと思われるが、私が訪れた午前11時前後には、オハツキイチョウの紅葉をお目当てに数十名の賑わいだっただろうか。オハツキイチョウ(お葉付き銀杏)とは、葉の上に実(銀杏)を結んだり、または葉の上に葯を付ける祖先返りしたイチョウのことで、全国的にも珍しい。ただ、この日も銀杏は落ちていたが、イチョウの葉と結合したものはなかなか見つからなかった。本堂で作務をされていた方が、アルコール漬けされたお葉付き銀杏を見せてくれたが、まだ葉が青い時期に来た方がお目にかかれることが多いと言う。このお寺の境内には戒場神社があり、そこにあるホオノキの巨木がたくさんの朴葉を落としていたが、オハツキイチョウと共に奈良県指定の天然記念物となっている。

 急な長い石段を下りながら、やがて里の中を伸びたアスファルト舗装の道路を十八神社めざして歩く。正面には、今日登ってきた額井岳が、紅葉によってオレンジ色や赤、黄のグラデーションに彩られている。秋晴れの真っ青な空に白い雲、そしてススキの穂。秋を象徴する被写体の色彩が多すぎて、なかなか1つの額縁に収まってくれない。途中、山部赤人の墓と伝わる五輪塔でしばし急速。墓の横には、「田子の浦ゆ」ではなく、「あしひきの山谷越えてのづかさに今は鳴くらむ鶯の声」(巻17-3915)の歌碑が建てられていた。そりゃあそうだろうなあ。

戒長寺鐘楼とオハツキイチョウ
 
戒長寺本堂   イチョウの紅葉のあたりが戒長寺
 
境内で見つけたお葉付き銀杏   伝・山部赤人の墓
 
 
 
   

 
   

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