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                         くりんとの登山ガイド

           
   
 特別天然記念物春日山原始林を歩く

●春日山の歴史
 春日大社(奈良市)の真東に、標高498.0mの花山を最高峰とする春日山が位置する。春日大社と花山の間には、お椀を伏せたような標高297mの御蓋山(みかさやま)あり、さらにその北には標高341.8mの若草山(三笠山)もある。

  841年(承和8
 
 
山内での狩猟や伐採を禁じたことが『類聚三代格』に記され、春日山一体が春日大社の神域となる
 1889年(明治22 奈良公園の一部に編入
 1924年(大正13 天然記念物に指定される
 1928年(昭和3
 
 
原始林内には周遊道路ができ、1929年から観光バス通過のため春日奥山周遊道路の拡張整備工事が始められる
 1955年(昭和30
 
奈良奥山ドライウェイ供用開始、1960年には高円山自動車道路と結ばれる
 1956年(昭和31 特別天然記念物に指定される
 1998年(平成10 世界遺産に登録される
↑春日山の変遷年表

左/若草山、奥/春日山、右/御蓋山

 
  この春日山は、その歴史的経緯から、1100年以上にわたり積極的に人の手が加えられず、照葉樹の原始林が広がっている。奈良という観光都市に隣接しながら、この地域の暖帯林の極相を示す状態で残っていることは、奇跡であり学術上大変貴重な植生である。ただ実際には、イロハモミジやケヤキが遊歩道沿いに植栽されていたり、これもまた人の手によって植えられたと思われるスギが多数巨木となっていて、厳密には原始林とはいえないかもしれない。しかし、そうしたことでこの山の価値が容易にゆるがされるものではなく、国指定の特別天然記念物として、また1998年には世界遺産の指定もうけ手厚く保護されている。

●照葉樹林
 照葉樹林を構成するのは、ブナ科のシイ類(スダジイ、コジイ)・カシ類(アラカシ、シラカシ、ツクバネガシ、アカガシ、ウラジロガシ)、クス

ノキ科のクスノキ、タブノキ、ヤブニッケイ、シロダモ、ツバキ科のツバキ、マンサク科のイスノキなどである。照葉樹というのは、歯は厚いがあまり大きくなく、クチクラが発達して光沢があり、常緑であっても冬の寒さには比較的強い。類似の常緑広葉樹でも、地中海地方にある硬葉樹林(オリーブ、コルクガシ)の葉は、一般に小型で厚く、乾燥気候に対する適応を示している。また、大型の常緑葉で冬の寒さに弱い亜熱帯林や熱帯林のものとも区別される。
 (以上、『図説日本の植生』沼田眞・岩瀬徹著より) 

   照葉樹林は暖温帯の雨量の多い地域に成立し、西はヒマラヤ南面の中腹から中国の長江以南地域を経て、東は日本の本州南半分(図参照)まで広がっている。日本においての照葉樹林帯は、人間の生活が始まると共にところどころ破壊されつつも一定の共生を保ってきたと思われるが、大陸より稲作が伝わってのち、照葉樹の森は加速的に破壊され田畑や住居地へと変貌をとげていったと考えられる。したがって、弥生時代以前に見られた照葉樹林の残存は極めて少なく、この春日山原始林や那智原始林(和歌山県)のそれにその面影を垣間見ることができる。また、奈良県内においては、妹山樹叢(吉野町)や与喜山暖帯林(桜井市)など神社寺院の境内の森にも断片的なものが見られる。
 

 ちなみに、「里山」と言われているところは二次林といって、人々が農用や薪炭用に利用するため手を加えて山である。クヌギやコ ナラは薪炭用に人の手によって植えられたもので、落ち葉が肥料用に搾取されやせたところにはアカマツなども見られる。しかし、こうした里山にも、シイ類やカシ類の幼木、マンリョウやヒサカキなどを見つけることができれば、そこの極相は照葉樹林であろうと判断でき、遠い将来にわたっての遷移が始まっているのかもしれない。

 植物学者中尾佐助氏の著書『植物栽培と農耕の起源』によると、ブータンから中国南部かけての照葉樹林帯を「東亜半月弧」と称し、その地域を核とした「照葉樹林文化」が日本の照葉樹林帯においても文化的共通性をもつとしている。例えば、水晒しによるアク抜き技法やウルシの利用、野蚕の利用などがあげられ、これらは日本の縄文時代にすでに伝わってきていたと考えられる。春日山原始林の鬱蒼とした森の中に身をおきながら、はるかブータンの森にタイムスリップしてみたり、縄文時代の人々の生活をイメージしてみてはどうだろうか。



東アジアにおけるナラ林の分布


東亜半月弧


●極相と遷移

 春日山原始林は、照葉樹林の極相といえども、ところどころにアカマツのような陽樹もみられる。これは部分的に自然撹乱をうけたことを物語っており、極相林と言えども、台風などある程度の頻度である程度の撹乱をうけ、その修復を繰り返しながら全体として均衡を維持している。
 この撹乱された孔の部分を「ギャップ」といい、そこに構成される周囲と異なった種組成やサイズをもつ集団を「パッチ」という。ここ春日山にもパッチ構造が見られ、そうした箇所には代表的先駆樹種としてアカマツ以外にもアカメガシワやカラスザンショウなどが見られる。特にアカメガシワは、種子が何年も林内土壌に眠っていて、森林が破壊されて光条件がよくなり土壌が高温になると発芽して、すばやく遷移の初期段階を優先する。

●春日山の植生
<柳生街道コース>
 若宮神社付近のナギ林を抜けしばらく住宅地を歩くと、ナンキンハゼがよく目につく。中国原産のこの木は昭和の初めに奈良公園内にも

たらされたもので、ナギやアセビ、イヌガシ、イズセンリョウなどと同様にシカは食べない。したがって、これらが選択的に残り、特にナギやナンキンハゼがその分布域を旺盛に広げている。
 飛鳥中学校北側のZ型になった交差点を、南部交番所行きではなく、少し下って再び東向きに進んでいくと能登川と交差する。ここからこの川沿いに進む道が「柳生街道 」で、奈良と柳生を結び、さらに笠置に通じる古くからの街道である。車道が整えられるまでは唯一の交通路で、何と昭和30年代ころまで人々の生活道路として盛んに利用されていたという。また、寝仏・夕日観音・朝日観音・首切り地蔵などの石仏もその歴史を語りかけてくれるようで、味わい深いルートである。
 静かな住宅街をぬけると、いよいよ照葉樹の森の中に入る。夏場は、湿度も高い上、ヤマビルがいるので足元は十分注意されたい。しばらくすると、道の右手に大きなエゴノキを見つけることができる。橋を渡るとやがて三叉路があり、このあたりから道に落ちたムクロジの実をしばしば見かける。林冠を見上げると偶数羽状複葉を見つけることができ、それがムクロジである。以降、ウラジロガシやツクバネガシのブナ科が顔を出す。



ムクロジの実
 

 こうした谷筋は、日光が林床まで差し込むところもあり、カラスザンショウやアカメガシワなどの陽樹も見つけることができる。また時々、スギの巨木が顔を覗かせハッとさせられるが、 これらは植樹されたもので樹齢700年以上のものも確認

 

柳生街道の首切り地蔵

されているらしい。 首切り地蔵前の東屋で一息つくと、地獄谷新池を周遊してみるのも面白い。坂道を登る途中にコシアブラがあり、その木の下にはイノシシの土耕跡やぬた場が見られる。池の周りは、コナラやクヌギ、イロハミモジなど二次林の様相をなしている。ここから春日山石窟まではすぐである。

 帰路は、南部交番所に通ずる遊歩道をとる。かつて、バスが運行されていたとあって道幅は広く整備されている。沿道は、植樹されたと思われるイロハモミジやケヤキなどが大木に育っており、紅葉シーズンには目を楽しませてくれる。 三本杉跡の向かいには、サカキ、イヌシデ、ツブラジイがあり、それぞれ名札がかけられてある。ここからツブラジイやイヌシデも多くなる。
 妙見宮の谷筋にはアカガシやツブラジイの大木が育っているが、入山は禁止されている。アカガシ を見たければ、ここから南部交番所までの間に数本まとまって生えている箇所がある。交番所を過ぎたところにイチイガシの大木があり、最後のお土産である。

 
<若草山コース>

 春日大社境内付近にはイチイガシが多い。春日山北側の遊歩道のルートをとるとまもなく鬱蒼とした照葉樹林の中に身を置くことになり、月日亭付近にはツクバネガシの大木が見られる。標高250mあたりから鎌研交番所にかけての道沿いにはツブラジイ(コジイ)が多く現れ、11月頃には「ツブラ」と思えないほど大きな堅果を手にすることができる。奈良公園内にはスダジイも多く見られるが、こちらはもともと沿海地域に自生するもので、奈良盆地に自生するシイはツブラジイの方である。したがって、公園内のスダジイは植栽されたものであろう。
 奈良奥山ドライブウェイが走る尾根筋が近づいてくると、シカが多くなる。照葉樹の森の中にはシカの餌は少なく、元来シカの好む餌場は草原である。そうした餌場の若草山からシカが流れてきているのかもしれない。一端、ドライブウェイに出て鎌研交番所を抜け、若草山の頂上(341.8m)に立つ。今回、私は眺望すばらしい若草山の草原の中の道を降りたが、開山期間があり、さら入山料を徴収されるので注意されたい。

●春日山原始林に見られる主な樹種
<春日神社境内ナギ樹林(天然記念物)>

  日本にマキ科の植物は、イヌマキとナギの2種しか自生しない。そもそもナギは暖地性の常緑針葉樹で、本州では和歌山と山口、あと四国・九州以南に見られるが、ここ春日神社境内のものは、純林の北限とされている。春日大社のナギがもともとここに自生していたのかどうかは疑問も多く、1200年ぐらい前に春日大社へ献木されたものが今のように広がったとする説が一般的である。
  奈良公園のシカもこの木の葉は食べず、また、ナギの木の発する「アレロパシー」という成分が、他の植物の成長を抑制するためこのような純林が広がったとも言われている。


<春日大社境内のイチイガシ巨樹群(奈良市指定文化財) >
 春日大社が創祀された8世紀頃には、御蓋山の麓から飛火野にかけてイチイガシ(ブナ科)を優先種とする照葉樹林が広がっていたと考えられる。現在、春日大社境内にはそれを物語るように幹周3mを越えるイチイガシの巨樹が多く生育しており、奈良市が文化財として指定している。

奈良盆地の中心部はかつて湖や湿地帯となっていて、周辺の扇状地の極相はイチイガシ林であったことが知られている。しかし、こうした地域は人の生活領域であり、奈良県では古くから開けてきたが、そうした中にあって、春日大社境内のものや笛吹神社イチイガシ林(葛城市/奈良県指定天然記念物)などは、学術上極めて重要であると言える。
(※奈良市設置の立札より引用 )



イチイガシ


<シバとシカ>
 奈良公園の飛火野や春日野には、イネ科草本であるシバやスズメノカタビラの草地が広がっている。そして、奈良公園内には1000頭を超えるシカが生息し、このシバを食むことによって芝刈り機の役割を果たしていることになる。このシバとシカの間には、互いに利益を与え合う関係にあり、相互進化をとげてきた。

 シバの茎は地中または地面近くにあって丈は低く、背の高い草本や樹木の幼木にさえぎられると光を十分に受けることができない。そこでシカなどの偶蹄類にそれらを排除させ、自らもその餌となった。そして、シバは動物による踏み付けにも強く、むしろ成長を促すという性質を発達させた。さらに、動物がむしって食べても根は簡単に抜けず、葉は先端部が失われても基部が残っていればまた伸びだし容易に回復することができるという進化を遂げた。
 シバはまたシカから肥料を与えられている。シカの大量の糞は、そこに生息する食糞性コガネムシやミミズなどの小動物によって分解され、さらに土壌中の微生物によって植物が吸収できる形に還元される。ゴルフ場のシバは、除草と施肥に多大な予算と手間をかけなけれ

 

奈良公園のニホンジカ

ばならないのに対して、奈良公園では人手のほとんどかからないかつ良好なシバの状態が保たれている。  また、シカはシバの種子の散布に大きな役割を果たしている。シバの花は、動物によって摂取される危険の少ない地中や地面の近いところで穂の全体の雛形を作り、若い花はその外側の葉の鞘部によって幾重にも保護されている。そして、その後の急速に成長して受粉・受精を行い、種子をすばやく作る。この種子は微小で堅牢なため、シカの噛み砕きやすりつぶしもくぐりぬけ、消化にも耐えて排泄されるのである。

 奈良公園内ではシバがきれいに食み揃えられ、かつ樹木の下枝の高さがそろっていて遠くまで見わたせる風景が多い。これらはシカが首を伸ばして枝葉を食べたからで、これを「ブラウジングライン」と呼んでいる。(「ディアライン」という和製英語もある。)
(※『奈良公園の植物』北川尚史・著より引用)

 
 
 
   

 
   

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