Mountain Guide
                         くりんとの登山ガイド

           
   
  熊野古道伊勢路を歩き、便石山「象の背」にまたがる
便石山「象の背」

 青い空に突き出し、青い海を眼下に見下ろす奇岩。そこにまたがる友人の姿をSNSで見つけた。そこは尾鷲の便石山(びんしやま)で、奇岩は「象の背」という名が付いている。この一枚の写真が頭から離れず、台風到来の合間を見つけて尾鷲に向かう。

【熊野古道馬越峠】
 下調べでは、まず熊野古道伊勢路の馬越峠をめざし、そこから便石山にまわるようだ。熊野古道は、2004年7月7日に、世界遺産(文化遺産)「紀伊産地の霊場と参詣道」に登録されて以降、整備も進み認知度も高くなった。熊野三山や高野山、吉野・大峯の霊場をめざす世界遺産対象の参詣道は、「熊野参詣道」「大峯奥駈道」「高野参詣道」の3本がリストアップされ、熊野古道は登録上「熊野参詣道」という名称になる。「熊野参詣道」は、さらに中辺路、小辺路、大辺路、伊勢路と分かれるが、熊野古道紀伊路は登録対象外のようだ。熊野本宮大社を心臓と例えるなら、その動脈・静脈にあたる熊野古道は、紀伊半島全身に網のように延びている。この日、馬越峠の石畳を歩いてみて、あらためて熊野古道ネットワークの広がりを再認識した。
 道の駅海山から徒歩10分ほどで、馬越峠登山口があるが、車何台かの駐車スペースも併設されている。熊野古道といえば、前述のように敷き詰められた石畳をイメージする人も多いと思うが、伊勢路も例外ではない。街道整備が本格的に行われたのは17世紀前半で、そのときには既に石畳があったそうだ。その後も、現在も、補修が繰り返されているため、幾つもの時代のパズルと言えようか。未舗装道路は、豪雨によって削られ荒れていくし、人の往来が減少すれば植物の遷移によって消えていく。「道普請」あるいは「道作り」という言葉があるように、定期的なメインテナンスが不可欠だった。熊野古道は生活道路を兼ねているところも多く、一時的には重労働であるが、石畳舗装を施すことによって、恒久的な道を維持しようと考えられたのかもしれない。登山口から約50分ほどで馬越峠に到着。
 熊野古道伊勢路について興味を持った私は、 下山後、尾鷲市内にある熊野古道センターに向かった。熊野古道の事後学習としてお薦めである。ここからは、尾鷲湾を挟んで便石山・馬越峠・天狗倉山を一望できる。また、海洋深層水を使ったお風呂「夢古道の湯」が隣接されている。

 
馬越峠登山口   熊野古道石畳
 
夜泣き地蔵   馬越峠
 
往時の馬越峠を再現(熊野古道センター)   熊野古道センター

【天狗倉山(てんぐらやま)】
 今回の目的は、便石山の「象の背」だが、馬越峠から往復約45分ほどで天狗倉山に登頂し戻ることができる。そこにも、天狗石からの絶景が広がっているようで、この奇岩も興味津々。最近、山に登ってもそこの岩石の成り立ちが気になって仕方がない。天狗岩も大きな一枚岩で、花崗岩のようにも見えるし凝灰岩にも似ている。道中での同定はそこまでとし、写真を撮って帰宅後の宿題とする。
 天狗倉山山頂には、役行者が祀られており、レンガ造りの祠の中というのが珍しい。南側の断崖からは、尾鷲湾の青と尾鷲市街地白が眼下に広がる。鉄梯子を使って天狗岩に登ると、北側には大台ヶ原の正木峠と思しき稜線が見渡せる。今度、正木峠に登った時には、この天狗岩を探してみよう。

【便石山(びんしやま)】
 馬越峠まで戻り、いよいよ便石山に向かう。人工林の切れ間から、美しい山容の便石山が姿を現す。馬越峠は標高340mで、そこからさらに標高220mまで下ったところが便石山と天狗倉山の鞍部となる。そして、この後、延々と続く上り階段が待っていた。この上りは蛇行することなく、等高線を垂直に交わらせながら高度を稼いでいく。行けども行けども足を休める平地はない。鞍部から1時間余り上り続けて、やっと登頂に至る。息を整えてから「象の背」に赴こうと、先に昼食。
 幸い真夏の青空の下、1日で計2.5Lの水分を要したが、おかげで「象の背」の延長線上に広がる空と海は真っ青だった。直方体の一辺のような足場は、さすがに冗談をする余裕がないものの、友人のSNSで見つけたあの写真以上の「象の背」が、私を迎えてくれた。
 帰路は、キャンプイン海山に向けてひたすら下り。この登山道も、上りはきついことだろう。お盆休みに入っているとあって、キャンプ場は満員御礼。最近、その透明度で注目を集めている銚子川が視界に入ってくると、キャンプ場到着だ。

天狗岩より(中央付近に大台ヶ原正木峠)
 
天狗倉山の役行者   天狗岩に上る梯子
 
天狗倉山より尾鷲市街地を望む   「象の背」より天狗倉山を望む
 
便石山   便石山への上り階段が続く
 
便石山山頂   キャンプイン海山(銚子川)

【熊野北カルデラ】
 さて、宿題のこれらの山の岩石の同定だが、今から約1500万〜1400万年前に遡ることになるらしい。この頃、南紀・熊野の東側で、多量のマグマが大規模な火山活動を起こし、流紋岩や花崗岩などの火成岩が生まれた。やがて、火山が陥没して巨大なカルデラがいくつもでき、その後の浸食によって、カルデラの跡が弧状岩脈として地表に現れるようになる。「大台カルデラ」「熊野カルデラ」「熊野北カルデラ」である。那智の滝を生み出す崖や神倉神社のゴトビキ岩、古座川の一枚岩や高池の虫喰岩は、「熊野カルデラ」火山が生み出した岩体である。そして、尾鷲の便石山や天狗倉山は、「熊野北カルデラ」火山が生み出した岩体と読み解く。
 さらに、古座川の一枚岩は「流紋岩質火砕岩(流紋岩質凝灰岩)」、那智の滝の崖は「流紋岩」、便石山の象の背や天狗倉山の天狗岩は「花崗斑岩」で、いずれも熊野酸性火成岩と総称されている。ちなみに、「流紋岩」は地表付近で休息に冷え固まった火山岩。「花崗岩」は地下深部でゆっくり冷え固まった深成岩。両者の中間が「花崗斑岩」である。
 「花崗斑岩」は、外側から皮をむくように剥離するタマネギ状風化が起こり、風化コアストーンを形成するが、神倉神社のゴトビキ岩にそれがよく現れている。そして、便石山の登山道を歩いていると、ゴトビキ岩ほど大きくはないが、大小様々なタマネギ状風化のコアストーンが点在している。一方、熊野古道の石畳に敷かれている岩石は、現地調達によるものが基本だとすると、馬越峠の場合、「花崗斑岩」を使った石畳ということになる。

左・便石山/右・天狗倉山(熊野古道センターより)
 
花崗斑岩   タマネギ状風化コアストーン
 
南紀熊野ジオパーク推進協議会作成パンフより   火成岩の分類
 
 
   

 
   

Copyright (C) Yoshino-Oomine Field Note