Mountain Guide
                         くりんとの登山ガイド

           
   
 高野山町石道(ちょういしみち)を行く

古峠付近

 「高野山町石」とは、九度山町慈尊院から高野山奥の院の御廟まで約24kmの道のりで、開山のおり空海が木製の卒塔婆を建てて道標とした と伝わる高野山表参道である。道路脇には1町(約109m)ごとに町石216基と36町ごとに里石(りせき)4基が立ち並んでいて、天皇、上皇から庶民まで、1町ごとに合掌しながら登山したという。これらの町石は、山上の根本大塔を基点に慈尊院まで180基、さらに大塔から奥の院まで36基が建てられ、当初の木製卒塔婆に代わって、1266年頃か ら20年の歳月を費やし現在の石造になったと文献に残る。完成後700年間に数度の補修で50基ほどが再建された以外は、長い風雪に耐えて創建当時のまま今もなお立っているというから、その歴史の重みを感じられずにいられない。

   
百八十町石   押上石   一町石

 
 町石道の出発は、九度山町にある慈尊院。このお寺は、816年(弘仁7)、弘法大師が政所として伽藍を創建したのが縁起で、その後、善通寺から訪ねてきた大師の母・玉依御前の滞在先となる。境内に奉納されている乳房型絵馬が珍しく目を引くが、大師の御母公の化身とされる弥勒菩薩へ、「子宝、安産、育児、授乳、病気平癒」を願って奉納されたものである。有吉佐和子の『紀ノ川』では、嫁入りする花が祖母豊乃と別れを惜しむ場面として、また、花の娘文緒の出産に際して安産祈願に訪れるなど、この寺院が描かれており、映画『紀ノ川』でも有名となった。
この慈尊院から丹生官省符神社に上る石段の途中に、まず最初の町石「百八十町」が建つ。 ちなみに慈尊院のある地点の標高は約80mで、金剛峰寺は約830m。ガイドブックの標準所要時間は6時間30分と記している。
 その前半、果樹園の中を登っていく。和歌山県は果樹王国で、ミカン・ウメ・カキの収穫量は日本一(2016年)。このあたりは内陸部で寒暖差が大きいゆえか、ミカンよりもカキ栽培に適しているようだ。眼下を見下ろせば、蛇行した紀ノ川河岸に広がった高野口の町並みが見渡せる。雨引山(標高477m)をまき、六本杉まで来ると標高約600mまでかせいでおり、古峠からは丹生都比売(にゅうつひめ)神社のある天野の里にも通じている。また、古峠からは、南海高野線上古沢駅にエスケープできる。
 二ツ鳥居を経て神田という在所が近づいた頃、木々の合間からはきれいなグリーンが見える。なんと、世界遺産のこの古道には、1km以上にわたってゴルフ場に接しているのだ。少々 興ざめしながらも、神田地蔵堂に到着、トイレも整備されている。ここから笠木峠を経て矢立茶屋をめざす。高野山道路の坂道を登る車のエンジン音が大きく届いてくると矢立も近い。売店には名物焼き餅が並ぶ。
 

 
二つ鳥居   袈裟掛け石

 
 矢立までくれば、大門はもうすぐそこだが、ここからいくつかの奇岩が出迎えてくれる。まず、大師が袈裟をかけたという「袈裟掛石」。この石から高野山の清浄結界となる。ちなみに、この石の下をくぐると長生きすると 言われている。次に、「押上石」。大師は大岩を持ち上げて、激しい雷雨と火の雨にみまわれた母をかくまったと言う。さらに、「鏡石」というのもあり、この石の角に座って真言をとなえると必ず成就するとのいわれがあるそうだ。

 大門直前の登りはきついが、町石もいよいよ1桁となれば足も進む。ついに朱色の大門が迎えてくれた感動は、170町余りの足跡に比例したものだろう。ただ、ここから金剛峯寺まであと6町(約650m余り)。 やがて、根本大塔の伽藍に足を踏み入れ、町石道の終点となる。
 25km約6時間の行程は、大半が上りとは言え、いわゆる「登山」とは異なった趣だ。1000年以上の歴史を経て、信仰の道、生活の道として踏みしめられてきた古道 。自然を感じるというより、人の営みを感じながら、私自身歩いたような気がする。ここ高野山からさらに熊野大社へ、熊野古道小辺路(こへち)が伸びる。古人の祈りへのエネルギーは、果てしない。

 
大門   金剛峯寺多宝塔
 
 
   

 
   

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