「高野山町石」とは、九度山町慈尊院から高野山奥の院の御廟まで約24kmの道のりで、開山のおり空海が木製の卒塔婆を建てて道標とした
と伝わる高野山表参道である。道路脇には1町(約109m)ごとに町石216基と36町ごとに里石(りせき)4基が立ち並んでいて、天皇、上皇から庶民まで、1町ごとに合掌しながら登山したという。これらの町石は、山上の根本大塔を基点に慈尊院まで180基、さらに大塔から奥の院まで36基が建てられ、当初の木製卒塔婆に代わって、1266年頃か
ら20年の歳月を費やし現在の石造になったと文献に残る。完成後700年間に数度の補修で50基ほどが再建された以外は、長い風雪に耐えて創建当時のまま今もなお立っているというから、その歴史の重みを感じられずにいられない。
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