Mountain Guide くりんとの登山ガイド
大阪府和泉市にある天台宗槙尾山施福寺は、西国三十三所第四番札所。札所本尊は十一面千手千眼観世音菩薩で、年1回開帳される。一方、屯鶴峯を起点に全長約45 kmに及ぶ金剛・葛城山系縦走コースのダイヤモンドトレールは、槇尾山が終点となる。 【槙尾山観光センターから標高差200mの石段を登る西国三十三ヶ所最難関】 国道170号線(外環状)槇尾中学校南交差点から南進すると、槙尾山観光センター前が車止めであり、少し手前に駐車場がある。巡礼の安全を願う草鞋がギッシリと掛けられた仁王門まではなだらかな石畳であるが、ここから不揃いの石段を登っていく。標高270mの槙尾山観光センターから470mの位置にある施福寺本堂まで標高差200m、約30分余りかけて石段を登らなければならない。登山目的なら、その途上に過ぎないが、西国三十三ヶ所巡礼を目的とする参拝客にとっては、難関寺院の1つである。 欽明天皇(539年〜571年)の勅願により、行満上人が開基となって創建されたと伝わるが、一時は一山の坊舎が千近く数える大寺院であった。1581年(天正9)、織田信長の兵火等により焼失。その後、豊臣秀頼によって再興されたといわれるが、1845年(弘化2)、今度は山火事により本堂伽藍の大半が焼失した。 葛城修験とも関わりが深く、『巻尾山縁起證文等之事』によると、役行者が書写した『法華経』二十八品のうち一品を当山に納めたとある。最後の一巻(巻尾)をこの地に納めたので、「巻尾山」(槇尾山)と言われるようになったとも伝わる。本堂向かいの手水舎の右手に石段があり、 槇尾明神社へ上るその途中に、「槇尾山経塚跡」と刻まれた比較的新しい石碑が建てられている。 槙尾山(600m)山頂から北に延びる尾根筋は、風化した花崗岩が露出し「蔵岩」と呼ばれ、大阪湾に向けて展望がひらけている。『和泉名所図会』(巻尾山施福寺)では、「捨身嶽」と示されているのが槇尾山と思われ、その下に「大師御所」「女人禁制」と記されている。現在、その場所には「弘法大師救聞持所/女人禁制」と刻まれた石標が立ち、石段の上には崩壊した建築物の跡が見られる。したがって、槇尾山頂一帯は行場であり、今も、施福寺にとっての禁足地である。 施福寺から、元来た石段を下っていくと、9月にはシュウカイドウの開花が見られる。仁王門をくぐりぬけ、槙尾山観光センターまで降りてくと、手前に、「満願滝弁財天」と彫られた石標が立つ。朱色の鳥居の向こうに弁財天本堂が見られるが、その名の滝は見えない。鳥居をくぐりぬけて本堂まで来ると、その向こうに大きな空間が生まれ、滝口がはるか青空に溶け込むほどの大岸壁から、スローモーションのように水流が落ちている。行場として、神宿る場として、幾つもの神が祀られているのには納得できる。 【滝畑ダムからダイヤモンドトレールの終着点】 奈良県香芝市の屯鶴峯から、二上山、大和葛城山、金剛山、岩湧山を経て大阪府和泉市の槇尾山まで、金剛葛城山系の稜線約45kmを結ぶ縦走コースを「ダイヤモンドトレール(通称ダイトレ)」と呼んでいる。コース上には、17ヶ所に石板(屯鶴峯・二上山・竹内峠・平石峠・岩橋山・持尾辻・葛城山・水越峠・金剛山・久留野峠・行者杉・杉尾峠・紀見峠・根古峰・岩湧山・滝畑・槇尾山)が設置されている。2019年に、ダイヤモンドトレール活性化実行委員会主催の「ダイヤモンドトレール縦走石板めぐり」というキャンペーンがあり、参加して踏破証をいただいた。 滝畑ダム上流部には、滝畑湖畔観光に隣接した公衆トイレ及び有料駐車場があり、岩湧山や槇尾山登山の拠点となる。吊り橋の新さむらい橋西詰にある樫谷不動から十字路を直進し、道なりに進むと民家の間に登山口がある。 ボテ峠に番屋峠と、アップダウンを繰り返しながら施福寺に至る、ボテ峠からは丁石地蔵が配置され、十四丁からカウントダウンとなる。番屋峠を越えると東槇尾川の最上流部に至るが、道沿いに屋敷跡と思われる石垣が幾つも続く。織田信長に焼き討ちされるまで千近く数える坊舎が施福寺にあったされているが、時代考証はともかく、そうした大寺院の名残だろうか。 二丁地蔵で三国山からの桧原道と合流し、弘法大師救聞持所跡を経て間もなく施福寺本堂に到着する。ダイヤモンドトレール石板「槇尾山」の所在地は分かりづらいが、確かにダイトレ沿いにあった。
【七越峠から西国三十三ヶ所観音巡礼コース(近畿自然歩道)】 鍋谷峠から七越峠、三国山に伸びる和泉山脈の尾根道を歩いていると、「まきのみち」を指し示す石地蔵や石標に幾つも出くわす。江戸時代、西国三十三ヶ所観音巡礼が庶民の間でもブームになったとき、第3番札所の粉河寺から第4番札所の槇尾寺(現・施福寺)へ向かう際、和泉山脈のいずれかの峠にとりつき、尾根伝いに槇尾寺をめざすルートが賑わったと想像する。 その1つ七越峠は、父鬼から紀伊の四郷(広口・滝・東谷・平)に至る峠で、鍋谷峠から槙尾山に通ずる尾根沿いの道と交差している。そこには、「七越峠茶所跡」の石碑が建てられており、「地域住民や茶所世話人衆によって昭和初期まで維持されていた」という碑文が記されている。ここには年代不明の立派な地蔵尊も見守っており、「左 さい所(在所)みち 右 まきのふみち」と刻まれている。 七越峠から三国山に向かって、尾根道もあるが、現在は、車道(林道)が走っている。三国山付近には電波塔が立っており、その取り付き口に、槇尾山まで四十五丁を示す丁石地蔵が安置されている。現在残っている丁石地蔵は、ここからほぼ五丁ごとにカウントダウンされていく。 三国山を過ぎると「天王池」の表示がある。今は枯渇して池らしいの水溜まりはないが、かつては、街道の水場として賑わったとか。牛坂の三叉路を左に折れ下っていくが、右手の眺望に見とれていると通り過ぎてしまう。この先も、かつては尾根道だったと思われるが、尾根に沿った林道が交錯している。千本杉峠を経て十五丁地蔵までは緩やかな下り道で、快適な山行である。 施福寺へは、さらに北進し、奥槇尾山を経て槇尾山西斜面をまいていくのが最短ルートであるが、十五丁地蔵(十五丁地蔵山付近)を最後に丁石地蔵は姿を消してしまう。ところが、先のダイヤモンドトレールでも紹介したように、十五丁地蔵から約1.5km西のボテ峠に十四丁地蔵が見られ、以後、一丁ごとに配置された石地蔵が施福寺へ導いてくれる。位置的にはつながっていないが、石地蔵の姿はよく似ており、カウントダウンされていく「丁」の数字はつながっている。元は、奥槇尾山経由の道沿いに安置されていた石地蔵が、ダイヤモンドトレールの整備に伴って移動させられたのだろうか、謎である。 さて、もう一度十五丁地蔵の地点に戻るが、奥槇尾山を過ぎると岩湧山山頂の眺望がよくきいたところがあり、しばしの休息地となる。さらに道なりに下っていけば、やがて二丁地蔵、そして、施福寺に至る。途中、槇尾山へ進む尾根筋との分岐路が左手にある。槇尾山から蔵岩一帯は、施福寺にとっての禁足地ゆえ、登山客を誘導するような標識はない。むしろ、「この先は、近畿自然歩道ではありません」という標識が、やんわりと進入を拒んでいるようだ。登山アプリYAMAPでも、「この活動日記は、現在は立入禁止となっている区域を含んでいる可能性があります。」という警告表示が出る。ただ、蔵岩の眺望は、登山者にとって魅力的であり、最近は、「和泉の摩周湖」「槇尾ブルー」と称されるエメラルドブルーの池の水面が望める展望地もあって、悩ましい山域である。 【槇尾山グリーンランド付近から清水の滝をめざして】 槇尾山グリーンランドは、和泉市立青少年の家で、団体客を中心に野外活動を楽しむことのできる施設である。2022年現在、大阪YMCAが指定管理者で、八ヶ丸山(標高422m)までのハイキングコースがよく整備されている。 グリーンランドから500mほど先に、駐車場とトイレがあり、そこを拠点に槇尾山登山を楽しむ方も多い。この駐車場から、五ツ辻を経て奥槇尾山から施福寺へと周回コースを歩くことができるが、駐車場とグリーンランドとの中間地点に、もう一つ登山口がある。父鬼川の支流の側川の最上流部に「開明の滝」「清水(きよず)の滝」があり、両滝を下流から目指すことができるルートである。 開明の滝までは、危険箇所もほとんどなくたどりつける。この滝は落差8mほどで、案内標識が立っていないと認識されないかもしれない。しかし、ここから清水の滝までが、このコース一番の難所で、開明の滝の右手を高巻きして急斜面を登っていく。単独行の私は、ヘルメットを着用し、スリングで簡易ハーネスを作り、残されているロープにカラビナを掛けて、一歩一歩慎重に足を進めていく。 その間、底深い急峻な渓谷であったが、突然、空がひらけ清水の滝が目に飛び込んできた。こちらは、落差もあり畏敬の念を感じずにはいられない。実は、2011年、槇尾山で死亡事故が発生しているが、ここ清水の滝が事故現場である。この滝から五ツ辻をめざすルートは、等高線に沿ったもので比較的安全だが、もう一つ、滝の左手を等高線に垂直に登っていくルートがある。急峻な岩場で、残されたロープを利用することもできるが、十分な経験値が必要である。
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