Mountain Guide くりんとの登山ガイド
西に延びる和泉山脈(槇尾山や三国山、和泉葛城山が望める)
岩湧山は、大阪府河内長野市にある標高897.1mの山で、秋の花ススキが有名である。山頂付近に広がる約8haの茅場は、地元では「キトラ」と呼ばれ、約300年前から滝畑の共有地として管理されてきたという。かつては、滝畑地区の茅葺民家の屋根葺き替えに利用されてきたが、茅葺民家も減少し、近年は、文化財建造物の屋根葺材としても広く利用されているようだ。茅を麓に下ろすための「梅ノ木永久索道」は、現在、その骨組みだけが残されている。茅場を維持するためには、山焼きなどの手入れも必要で、4月上旬に、ダイヤモンドトレール(以下、ダイトレ)も通行止めにして行われているが、一般の見学は受け入れていない と知る。 こうした山頂の茅場は、遠方からの目印となって、岩湧山の同定に役立つ。逆に、山頂からの眺望は、樹木などの遮るものがないため、360度のパノラマとなって飛び込んでくる。北には大阪平野、天気がよければ六甲山系や淡路島もよく見える。西には、ダイトレの終着点である槇尾山、そして、和泉山脈の尾根筋には三国山や和泉葛城山が望める。逆に、東には、ダイトレの延長線上にある金剛山や大和葛城山が大きな腰を下ろしている。こちら葛城山の山頂もススキ草原になっており、遠方からもよく識別できる。南に目をやると、直下の千石谷を挟んで標高922mの南葛城山を含む尾根筋が蔵王峠まで続いており、さらにその背景は高野山の山並みである。 関西において、標高1000m前後の山なら、遷移によってブナやナラ類の森林が優先する。そうした場所では、草本類の山野草は耐陰性の種に限られてくる。一方、人為的に遷移を抑制し、岩湧山のようにススキの草原が広がる高山では、陽光の大好きな山野草も見られ、一気にその種類が多くなる。
セリバオウレン、ユキワリイチゲ
ササユリ、ヤマトキソウ、オオナンバンギセル キキョウ、コオニユリ、オカトラノオ アカショウマ、カワラナデシコ、オオヤマザキソウ
ハバヤマボクチ、イタドリ、アケボノソウ、 ワレモコウ、アケボノシュスラン、リンドウ タカネハンショウヅル、アキノキリンソウ
テイショウソウ、ツルリンドウ ミカエリソウ、コウヤボウキ シュウカイドウ
湧出山岩湧寺は、大宝年間(701〜704)に役小角が開基した寺院と伝わり、山伏たちの修験道場として栄えた。境内の本堂は江戸時代初期に建てられたとされているが、多宝塔及び本尊の大日如来坐像は、共に国の重要文化財である。元は天台宗であったが、明治5年の修験禁止令によって、現在は融通念仏宗の寺院となっている。 周辺には、「行者の滝」「不動の滝」「千手の滝」があり、まさに行場の様相である。なかでも、オーバーハングした見上げるような巨岩がシンボル的に鎮座し、その前に七体の自然石に刻まれた神(初辰龍王・大杉大神・白瀧大神・薬力大神・笠松大神・白隆大神・松木大神)が並んでいる。その左手に不動の滝、右手に千手の滝、下流に行者の滝がある。 寺院周辺には、シュウカイドウ(シュウカイドウ科)がグランドカヴァーのように参道沿いを覆っている。8月中頃から雄花が先に咲き始め、9月には雌花も開花し見頃を迎える。貝原益軒の『大和本草』には、「寛永年中、中華ヨリ初テ長崎ニ来ル。ソレヨリ以ハは本邦ニナシ。花ノ色海棠ニ似タリ。故ニ名付ク。其葉左ニ顧ルアリ、右ニ顧ルアリ。」と記され、江戸時代に中国から持ちこまれた帰化植物であるらしい。 一般的な登山道は、岩湧寺から登るルートと、ダイトレ伝いに滝畑ダム登山口からと紀見峠から登るルートがある。岩湧寺から登る場合、トイレも整備された岩湧の森「四季彩館」が拠点となり、周辺には駐車場もある。ここから何本もの登山道が延びているが、利用者が多いのは、「きゅうざかの道」と「いわわきの道」で、寺の本堂左手から府道221号線(加賀田片添線)に沿って少し登ると、2つの登山口が並んである。どちらも1時間余りでダイトレにとりつくが、「いわわきの道」のルート上には、行者堂があり、途中、水場もある。時間を稼ぎたいなら、「きゅうざかの道」だろうか。こちらを登ると、東峰にどんつく。西峰は茅場の中の山頂で、岩湧山は双峰の山ということらしい。 一方、滝畑ダム登山口から登る場合、滝畑湖畔観光横に駐車場(有料)とトイレがある。ここからダイトレに沿って山頂をめざすが、途中、三角点762.6mの扇山に立ち寄ってみたものの眺望はない。登山口から1時間ほどで茅場の入口に到着。7月下旬からは、オオナンバンギセルやキキョウ、コオニユリなど夏の山野草 が目に楽しい。カメラ向けながら、やがて、三角点897.1mの岩湧山頂である。
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