Mountain Guide くりんとの登山ガイド
大谷池より望む(五條市)
五條市街地から仰ぎ見る金剛山(上画像)。しかし、金剛山地の最高峰である葛木岳(1125m)も湧出岳(112m)も、ここからは見えていない。金剛山地の尾根は、真上から見ると逆“く”の字型をしていて、最高峰は北端に位置しているからだ。したがって、多くの五條市民が仰いでいる金剛山と言えば、標高937mの「中葛城山」、938mの「高谷山」、792mの「神福山」ということになる。これらの尾根には立派な登山道が通っており、二上山や葛城山から続く「ダイヤモンド・トレイル」という名がついている。 【久留野峠→中葛城山→千早峠】 久留野峠へはカラソ登山口から。人工林を数百メートル進んだところに分岐路があるので、よく注意をして左をとる。とりわけ危険な箇所もなく、スギの人工林をひたすら歩く。正直言って、植生にはほとんど面白みはないが、針葉樹林の好きな野鳥がお出迎えしてくれる。早ければ1時間ほどで、久留野峠に到着する。 五條市近内町には、「藤岡家住宅」という登録有形文化財がある。藤岡家は、庄屋以外にも両替商、質商、薬種商、紺屋など商家としての顔を持ち、大阪と五條・吉野地域との物流の拠点として商いを行っていた。物流が人の脚にたよっていた頃は、小和道から伏見峠に至るルートと、この久留野峠を使うどちらかのルートを利用していたと考えられる。 久留野峠は標高889mだから、937mの中葛城山ではもう一息だが、見上げるような階段が伸びている。中葛城山頂には、大きな標識が建てられているが、三角点937.6mはここではない。注意深く歩いていると、標識に至るまでに三角点への進入路を示すテープなどが目に入るものの、地図アプリ等で探すのが確かだ。ササ深くなかなかたどり着けないかもしれない。 なんといってもこのルートのハイライトは、久留野峠から千早峠まで、中葛城山を経て稜線を歩くこと。何ヶ所か人工林が伐採されていて、五條市側に見事な視界が開ける。眼下を見れば、Google Earthを見ているかのような田園住宅地のパノラマ。お互い手旗でも振れば確認できそうだ。また、遠くには山上ヶ岳や弥山、荒神岳が望める。 千早峠も、河内長野と五條を結ぶ旧街道の1つ。なかでもこの峠は、幕末に天誅組が五條代官所を襲撃した際に使ったルートとされ、一行は、岡八幡神社で戦いの成就を祈願したと伝わる。明治維新の魁といわれる天誅組義挙から150年を記念し、2013年、関連地域でも記念イベントが開かれた。その時の盛り上がりに乗じて、千早峠から五條市北山町に至るこのルートを「天誅組が駈けた道」として整備されたように記憶している。このルートの管理はどこがになっているのか分からないが、あの時の盛り上がりから10年、この登山道は廃路になるのではないという危機感を感じている。とりわけ国道310号線に合流する最後の500mは、かつてアスファルト舗装もされた木材の搬出路と思われるが、樹木が成長し車の通行は不可能であると共に、人の通行も困難になりつつある。
【大澤寺→行者杉峠→福神山→千早峠】 大澤寺(だいたくじ)は、『瀬の堂の薬師さん』と土地の人々から親しみを込めてそう呼ばれている。約1300年前、修験道の開祖役小角(えんのおずぬ)を開基とする密教霊場で、本尊は薬師如来。また、弘法大師のお手植えとされる神樹(智恵の柳)や目を洗うと眼病が治るという通称眼洗い池などがある。このお寺の西端にトイレがあり、その脇から登山道が通ずる。 この大澤寺付近には「中央構造線」が通っている。この活断層の北縁に位置する金剛山は、領家変成帯と言って、主に変成岩の“花崗岩”から成る。一方、加太海岸から大澤寺付近までは、中央構造線の北側に白亜紀末(約7000万年前)の和泉層群が領家変成帯を覆っており、堆積岩が多く見られる。大澤寺から行者杉峠までの登山道には、堆積岩の“礫岩”がゴロゴロと転がっており、大澤寺の石垣もこの礫岩が用いられている。同じ和泉層群である淡路島では、恐竜の骨が発見されているらしいから、ここでも可能性が無きにしも非ずである。 大澤寺から行者杉峠まで1時間余り。この峠は、大阪府(河内長野市)、和歌山県(橋本市)、奈良県(五條市)の3県境界地に位置する。 ここには、役行者を祀る祠があり紀見峠に近い「西ノ行者」に対して、ここは「東ノ行者」と呼ばれ、周辺の老齢樹が「行者杉」と呼ばれているようだ。現在、 5月5日には、石見川の人たちによって「行者杉祭」が行われており、役行者をお祀りしたあと、お弁当を囲んで祝う趣向がひっそりと続けられている。かつては、五條側の人たちも参加していたと聞くが、この日、大澤寺では花会式が行われている。 行者杉峠から東へ向かって尾根伝いに歩き、国道310号線の金剛トンネル付近を越えて神福山への上りにさしかかるころ、足下に転がる礫岩は花崗岩にとって代わる。 ダイトレ上は、この辺りが和泉層群の東端で、ここから先は花崗岩である。 (ただし、山麓や中腹では、久留野峠道あたりまで和泉層群の礫岩が見られる。)神福山手前で分岐路があり、左をとれば山頂を避けて迂回できる。神福山山頂は植林に遮られて展望はきかない。山頂付近には小さな祠が2つ安置されており、1つは高天神社、もう1つは佐太雄神社と案内板に紹介されている。また、「葛城二十八宿経塚」のうち第十九番経塚となっている。ここは、大澤寺の奥の院とされ、直通のルートがあったようだが、もはや辿れない。また、この山頂一帯は、南北朝時代に楠正成によって築かれた笹尾塞の跡とも伝わる。やがて、千早峠が見えてくる。
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