Mountain Guide
                         くりんとの登山ガイド

           
   
 雪中金剛登山と樹氷(天ヶ滝新道)
ちはや園地付近の樹氷
 
俗にいう「海老の尻尾」  
 
わらじや鍋つかみを奉納する小和の山の神   天ヶ滝

 五條市在住の者にとって、金剛登山といえば小和から登る天ヶ滝道こそその王道と信じ、さらに金剛登山は「雪中登山」でなければならなかった。有形無形にそう教育されてきたのだ。子供の頃は、たいした防寒具も装備ももたず、長靴の中の足は凍りつき、薄いウィンドブレーカーのみの体は寒さに震え、冷たいおにぎりを口に押し込む雪中登山だった。しかも、このルートはほとんど人工林の中で、薄暗く変化に乏しい。それでも学校行事などで否応なしに招集され、この味気ない雪中行軍を繰り返すうちに、いつしか金剛山嫌いになっていた。
 そうそう、もう一つ付け加えると、五條側から山頂に至るルートは、大阪側からのそれに比べて上りがきつい。同じ標高から伏見峠や久留野峠をめざすルートを比べてみるとよくわかるが、五條側は傾斜が急なのである。金剛山は、奈良県側にある中央構造線という断層が繰り返し活動したことによって生じた山地ゆえ、奈良県側斜面は切り立った崖、大阪側はなだらかな山麓というイメージだ。

 五條では、天ヶ滝道のことを長く「新道」、小和道を「旧道」と呼んでいた。明治期まで小和道は、高宮廃寺や石寺への参道であり、伏見峠をこえて河内長野へぬける生活道路として利用されていた。一方、天ヶ滝道は、林業のための道であり、戦後、登山道として整備された。現在、奈良県側の金剛山山腹は、スギやヒノキの人工林に覆われ、まったく変化に乏しい山になってしまったが、戦前を知る古老にたずねると、「昔の金剛山は、頂上付近はブナ林、中腹は原生林と植林、麓は燃料に使うクヌギやナラなど広葉樹が多かった」と言う。大正〜昭和と林業バブル期に殆ど伐採され、スギ・ヒノキにとってかわったらしい。 その時の林道の1つが整備されてできたのが天ヶ滝道ゆえ、人工林に埋もれた道なのは当然だろう。そのスギ・ヒノキも、今や採算がとれず、手入れの行き届いていない人工林も多い。

 天ヶ滝道登山口には、駐車スペースがある。歩いていて楽しい道ではないが、整備は整っている。それでも、人工林の合間に、シラカシ、ツクバネガシ、ウラジロガシ、ヤブニッケイ、アオキなどが見られ、常緑広葉樹林帯の断片を見つけることができる。また、植林を施した時も、桜は残しておこうと思ったのか、今や大木に育ったヤマザクラにも出会える。ただ、花ははるか頭上で、やはりヤマザクラは遠くから眺めて美しい。
 上りはじめてすぐに、役行者が降雨を祈祷したと伝わる天ヶ滝へ導く分岐路がある。1時間ほどで中の平、ここにはベンチがある。また、旧道沿いにある欽明水に対して、新欽明水と命名された水場もあり、ここにさしかかった頃には伏見峠も近い。伏見峠は四差路になっており、左右にはダイヤモンドトレール、大阪府側へは念仏坂というルートが延びている。ダイトレを右手にとると、やがて「ちはや園地」。ここで山頂に着いたかのような錯覚もおこるが、葛城岳山頂(1125m)へはさらに30分の軽い上りが続く。「山頂に登った」という達成感に浸るには、また、錬成会が主催している「金剛登山回数表」を楽しみにしている人にとっては、ちはや園地はあくまで通過地点である。

 雪中行軍の恨み辛みが多くなってしまったが、やはり雪中期は金剛山が最も賑わう季節である。ちはや園地では、団体客や家族連れなどであふれ、にぎやかな声が響いている。最近は、冬山用の装備も充実した品揃えで、予算に応じて冬山の快適性をある程度追求できる。温暖化の影響か、年によっては、1月でも無積雪の時期もあるが、高い確率で美しい「樹氷」を楽しむことができる。青空を背景にした樹氷は、雪中金剛登山の最大の楽しみである。
 「霧氷」という言い方もあるが、霧氷は総称で、樹氷・粗氷・樹霜の3つに分類される。気温−5℃以下の環境で、濃霧が枝や葉などに凍結付着すると、気泡を多く含むため白色の氷層に発達する。これが樹氷で、粗氷の場合半透明で硬い。弱風の時は全方向へ発達するが、風が強いほど風上側へ向かって羽毛状に成長する。これを俗に「海老の尻尾」と呼ぶ。また、樹木全体が樹氷で覆われた様を「アイスモンスター」や「雪の坊」と呼んでいる。

 
 
 
   

 
   

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