地元住民や登山愛好家らでつくる金剛山千早赤阪倶楽部が、「令和の町石道」を整備したと、新聞記事で知った。(2021/01/18読売新聞)一町(109m)ごとに設置される町石は、「高野山の町石道」が有名だが、ここ金剛山でも、小和道(石寺道)や関屋道に町石が残っている。今回、整備された「令和の町石道」は、赤坂古道のうちの「二河原辺(にがらべ)・水分道」で、五町(545m)おきに、御影石製の町石計15本が設置されたという。(2020年11月完成)
「二河原辺・水分道」は、「桐山・二河原辺道」と共に、金剛バス森屋バス停(標高112m)から湧出岳(標高1112m)まで、「標高差1000mの金剛山一最長ルート」として紹介され、こちらも重ねて興味が注がれる。また、村立千早赤阪中学校横には下赤坂城址、「桐山・二河原辺道」には上赤坂城址があり、元弘の乱における楠木正成の戦跡を追いかける歴史ロマンの道でもあるのだ。
標高差1000mを正確に登るなら、森屋バス停スタートだが、道の駅ちはやあかさか(標高140m)を拠点にすると、駐車場もあり便利である。さらに、「桐山・二河原辺道」の上赤坂城址登り口には(標高210m)、駐車スペースもあるので、道の駅出発よりさらに片道約15分短縮できる。
道の駅ちはやあかさかからアスファルト道路を北上すると、6月上旬に満開となる「にがらべ花菖蒲園」、さらに1月〜2月中旬にかけて見頃となる奉建塔のたもとの「スイセンの丘」を横目に通過する。そして、「にがらべ花菖蒲園」付近には、早速「令和の町石(六十六町)」に対面だ。二河原辺の集落を通り抜け、南河内グリーンロードとの交差点に至ると、交差点手前に古い町石(五十九町)が残っている。他の金剛山道の町石とは異なり、こちらが示す距離はカウントダウンである。この交差点を右折して学校給食センターまで200mほど北進すると、「桐山・二河原辺道」への進入路である。
二河原辺の集落の東隣は「水分」集落である。ここは「すいぶん」と読ませるそうだが、この集落内にある建水分神社は「たけみくまりじんじゃ」という。(通称は“すいぶんじんじゃ”)さらに、地域によっては「みずわけ」と読ませる地域もあるからややこしい。建水分神社の祭神として、天御中主神と天水分神、国水分神が祀られており、後者の二神はいずれも水の分配を司る神である。つまり、「みくまり」は「水配」の漢字があてられ、これらの祭神は金剛山・葛城山の灌漑用水を司る神というわけである。建水分神社は水越川のそばに鎮座し、この川の水資源を守る役目を果たすことになるが、水越川の上流は大和吐田郷(現奈良県御所市)の所有地で、人工的に河道を付け替え大和側に水を流してきた歴史がある。江戸時代(元禄期)には、大和と河内の農民が一触即発の水論争となり、京都所司代を巻き込んで大和勝訴の裁定を仰いでいる。大和側(御所市関屋)にも、やはり葛木水分神社があり、同様に天水分神と国水分神を祀っている。 |