Mountain Guide くりんとの登山ガイド
明神平
明神平より金剛山を望む
【積雪期の明神平】 自宅から、真っ白に雪を頂いた大峰山系を望むことができるものの、標高1800m以上の頂きにチャレンジする技術も体力も持ち合わせていない。かといって、金剛雪中登山では物足りない。雪山への好奇心だけが強い私に、この度、お誘いいただいたのが台高山系の明神平である。東吉野村の丹生川上神社中社前を右に折れ、四郷川に沿って車止めまで進む。正月三ヶ日とあって、午前7時半には、駐車スペース(標高670m)に30台弱の車で早満車。後続車は、手前の路肩に駐車スペースを見つけなければならない。 2022年のクリスマス寒波以降、穏やか天候が続いたためか車道にはほとんど雪は残っていなかったが、登山道に入ると雪は溶けずに残っている。10本爪のアイゼンやスパッツ、厚めの手袋が必要である。年末から年明けにも、多くの登山客が入っていると思われ、道はしっかり付いている。標高1000mを越えた付近から、頭上に霧氷が見られるようになり、高度を上げるに従って、エビの尻尾やモンスター化しつつある造形物が目に入る。自ずとカメラを構える時間が増えるが、2時間弱で明神平に到着。一面真っ白でモノクロの世界である。小屋の陰で風を避けて昼食をとる。 積雪期、明神平を訪れた登山客は、前山、明神岳(穂高明神)を周回する人が多いようだ。また、子どもの姿は見かけないものの、ソリを持っている人も多く、明神平では大人たちが雪遊びに興じている。積雪量にもよるが、先の周回コースを歩くには、輪かんじきがあると歩きやすいし楽しい。 明神平は、昭和39年〜44年まで、大和観光開発株式会社によってスキー場が経営されていた。300人収容の国見荘まで建てられたようだが、里の車道から明神平までの輸送路計画が進まず、ひとときの賑わいはやがて過去のものとなった。今でも、リフトを動かしていたと思われる重機やリフトの支柱などが、鉄くずとなって放置されている。こちらのリフトは、おそらく「ロープトゥ・リフト」と呼ばれる滑走式リフトで、エンジンを使って回していたと思われる。そして、何よりもスキー場開発のために皆伐された森林跡は、その後も遷移が進んでおらず広大な草原のままである。標高1400m近いところでは、一度失われた森林は乾燥化によって 容易に蘇らないものなのだろうか。本来の植生としては、ブナやミズナラ林が見られるはずである。 さて、標高1300〜1400mの明神平は、申し分のない霧氷が形成され十分満喫できたが、この日、あいにくの曇り空でガスがかかり遠くを見渡せない。ガスが消え、願わくば青空が微笑んでくれるといいなあと念じていると、下山間際に、ガスが飛ばされ真っ白な峰々が視界に飛び込んできた。山の神のご褒美である。 下山しながらも、1960年代に賑わった明神平スキー場への興味は尽きない。車道は七滝八壺から約500m上流で止まっており、当時は、そこから約2時間の登り道をスキーを担いで登ったということになる。まだまだ信州は遠く、レジャーの選択肢も少なかった時代には、少々の労もいとわず奈良県内のスキー場で楽しんだのかなと、そんなことを想像しながら帰路につく。
【白蛇伝説の大鏡池から薊岳へ】 高見山(1248.9m)から大台ヶ原山(日出ヶ岳1695.0m)まで連なる山脈は、「台高山脈」と呼ばれている。 この台高山脈は奈良県と三重県の県境となっている。その西側には、紀伊半島の背骨のように走る大峰山脈があり、遙か昔、河川による浸食をうけて台高山脈と袂を分かったとされている。高見山の南側には、国道166号線に沿って中央構造線が通り、その北側は領家帯(花崗岩)、南側は三波川帯や秩父層群(砂岩・頁岩・チャート・石灰岩など)である。したがって、高見山は花崗岩からなり、それ以南は大台ヶ原山まで秩父層群の堆積岩である。 次に、無雪期の薊岳を登頂し、明神平、国見山、そして再び大又に下山するルートを紹介したい。大又では、駐車場探しに苦慮するが、この周回ルートなら、最初に明神平登山口付近の駐車場に停めておくのも一案である。薊岳までの途上に大鏡池(1182.9m)があり、白蛇伝説の伝わる雨乞いの霊地だという 。この付近にさしかかる登山道には風化した大小のチャートが見られ、秩父層群のコンプレックスの1つであることを実感する。 薊岳の名の由来はわからないが、雄岳・雌岳からなるこの山の稜線は東西に延び、俗に馬の背と呼ばれるような急峻で鋸状の岩場である。こうしたやせた水分の乏しい場所での生存戦略を見いだしたのはツツジ科の仲間で、山頂より西側の尾根筋にはシャクナゲが群生する。一方、東側に下っていくと地中の水分が集まる傾斜地にはバイケイソウの大群落が見られる。山頂からの眺望は、遮る森林もなく、台高山脈が南北に延びている様は大パノラマ である。 明神平から国見山までは、水無山を経て標高約100mを約1時間かけて往復することになる。国見山という名称から、山頂付近もかつては視界が開け、四方の国々を検分できたのかもしれないが、今は樹木が繁茂し視界が見通せない。ただし、山頂手前に南西に開けたところがあり、薊岳の稜線がよく望める。 明神平付近は、四郷川の源流にあたり、少し下ったところから豊かな水量の湧き水がとくとくと流れている。これなら300人収容の国見荘の水源を確保できたはずだ。この渓流に沿った登山道を下 山する途中、明神滝に足を止めると、5月初旬、ニリンソウやイチリンソウの花がわずかに残っていた。
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