紀伊山地の最高峰は標高1914mの八経ヶ岳。この地域は、1週間に10日雨が降ると言われるほどの豪雨地帯だ。その八経ヶ岳と向いあう弥山の鞍部に(とは言っても標高は1800m)、梅雨の時期を選んで咲くオオヤマレンゲ(モクレン科)が自生している。
数十年前までは、この麓に至る車道さえ整備されておらず、修験者たちや一部の登山家の目にしか触れることはなかった。しかも、豪雨となる梅雨の時期の合間を選んでの山歩きであるから、まさに幻の花“天女花”と言い伝えられてきた
わけだ。現在は、道路事情もずいぶん改善されたが、それでも奈良市内からだと登山口まで車で2時間半、そして、そこから約4時間の登山となる。
尾根筋の登山道は、吉野山から熊野大社までつづく“奥駈道”の一部分にあたる。“奥駈道”は役行者を開祖とする山岳宗教「修験道」のメッカ
と言われ霊場で、今でも山伏たちが「懺悔懺悔六根清浄」と唱えながら修行に励む。約1300年の歴史を持つ古道(pilgrimage
road)なのだ。そうした文化的価値から、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され、こちらのオオヤマレンゲも国の天然記念物と共に、世界遺産リストにも加えら
た。
さて、この天女花は少し原始的な植物で、蜜を出して蝶や蜂をおびきよせるようなことはしない。
おしべもめしべも露出していて、甲虫たちが好きな果物のような匂いで誘いだす。芳香に導かれた甲虫たちが、花の上を歩き回ると体に花粉がつき、送粉
の役割を果たす。これらの花が、“甲虫媒”の花と呼ばれる所以である。オオヤマレンゲをはじめホオノキなどモクレン科の仲間は、花とポリネータとなる昆虫の関係のうち、最も古い時代に成立した
もので、花粉を食べにきた甲虫がたまたま仲人の役割を果たしたことから、花と甲虫の共生がはじまったと考えられている。
オオヤマレンゲの芳香は、その花の美しさと共に、虫はおろか人間までもそのとりこにさせる。ところが、最近では地球温暖化や酸性雨といった環境の変化に、
少々苦しんでいるのだ。時には、心ない人間が撮影に夢中となって根元を踏み荒らしていく。また、それ以上に問題視されているのが、増えすぎたニホンジカによる食害である。こちら大峰のオオヤマレンゲは、
その食害から守るため、現在、フェンスで包囲されている。
この花にすれば、かつてのように、修験者たちごく一部の人の目に触れられていた時代がいいのかもしれない。しかし、せっかくの美しい自然と固有の文化を、世界の共有財産として、
多くの人に関心をもってもらうための環境整備も必要だ。この相反する難しい問題にどう対峙するべきか、天女花の美しさに触れたたび、私の中で環境問題が再燃する。
5〜7月
本(関東以西)・四・九 |