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やまとの花手帖

 
         
         

ハマユウ (浜木綿)

ヒガンバナ科ハマオモト属

周参見(2001.7.22.)

 私の叔父は7人兄弟の末っ子で、奥さんは姉さん女房。和歌山県田辺市の出身で気丈な性格だが、海のない奈良に嫁にやって来た。車で走れば3〜4時間で帰省できる 距離だが、故郷の思い出を手元で育むかのように、ハマユウを鉢植えで育てていた。霜にあてなければ奈良でも育つと教えてもらい、株分けしてもらった。その言葉通り、何年後かに白い花を咲かせ、ハマユウの美しさを知った。
 私を可愛がってくれたその義伯母さんもすでに他界してしまったが、連れ合いだった叔父が数年前にやってきて、今度は我が家のハマユウを株分けしてほしいと言 う。どうやら義伯母のハマユウを慌ただしさの中で枯らしてしまい、逆輸入を申し出てきたわけだ。叔父も、そのハマユウに亡き叔母の面影を見出している のかもしれない。
 鉢植えでない海岸に自生するハマユウを初めて見たのが、田辺市からさらに南へ下った周参見(すさみ)町の海辺。このあたりの海岸は黒潮 のぶつかる暖かいところで、潮風があたる砂地にヒガンバナのような白い花を咲かせていた。この紀伊のハマユウを万葉人も愛でた。都からはるか彼方の熊野で目にしたハマユウを見ては、都 に残してきた恋人を思い懐かしんだのであろうか。
 

 み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思へど ただに逢はぬかも (柿本人麻呂 巻4−496)

 私の中で、もう1つのハマユウがある。1960年代に、和歌山線をしばらく急行「はまゆう」が走っていた。名古屋・京都発の白浜口(現・白浜)行で、新婚旅行や修学旅行をはじめ多くの観光客を乗せ 、白浜がにぎわった時代の話である。私の小学校の時の修学旅行も「はまゆう」で行ったと思っていたが、調べ直してみると、昭和43年10月のダイヤ改正で「はまゆう」は急行「しらはま」に統合改正されて いた。当時、興奮した修学旅行は急行「しらはま」の車中だったことになる。しかし、私の記憶はずっと急行「はまゆう」。ハマユウが導く海岸にこそ、み熊野の黒潮が暖かな潮風を運んでくれるのだ。

 6〜9月
 本(三浦半島・房総半島以南)・四・九 ・沖