曽爾高原のススキは曽爾村の萱葺き屋根の材料として長年使われてきたが、萱葺き屋根の減少や杉などの植林で高原消滅の危機もあった。しかし、この景観を残す為に奈良県に保護を嘆願し
、守られるようになったと言う。つまり曽爾高原は、昔は採草地や萱場として、今は観光地として、人の手が積極的に加わり、ススキを主体とした草地の状態で遷移が止められている
次第だ。実際には、毎年3月中旬頃に山焼きが行われている。奈良の若草山同様、山焼きなどのストレスを止めればたちまち遷移がはじまり、やがて雑木林へと姿を変えていく
。
曽爾高原の見事なススキヶ原は、三度変化するという。
○10月上旬〜10月中旬
ススキの穂がほどけはじめ綿毛が出てくるが、赤いススキの穂も混在している。また、お亀池などではウメバチソウなども咲いていて山野草も楽しめる。
○10月中旬〜11月上旬
ススキの穂が完全にほどけ、風がなびくと銀色の流れる穂波が美しい。
○11月上旬〜11月下旬
完全に葉も茎も枯れて一面が黄金色になる。写真でよく出るのはこの季節だが、末になると穂が飛び始めまばらになってくる。
萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなへし また藤袴 朝顔が花 (山上憶良 巻8-1538)
尾花はススキ、朝顔をキキョウと読み換えると、「おすきなふくは」という覚え方があるようだ。実は、ススキを花と認識するようになったのは、この万葉集に
出会ってから。その後、「ススキは秋の七草」と自身に言い聞かせているが、野山へ出るとすっかり忘れ、ハギやナデシコの方に目を奪われてしまう。
一方、ススキヶ原では、逆光でカメラを向けると美しいことに気づいた。
この植物は風媒花ゆえ虫を誘う必要がなく、雄しべと雌しべだけで花びらもない。受粉は風まかせなので、種子として成長するのは3割ほど、やはりこの種子もまた風の力で生息地を広げる。あとの7割は、まさに枯れススキというわけだ。しかし一方で、ススキは株分けをしながら地下でも増えていく戦略も備えているから、なかなかしたたかである。風まかせの人生といえば聞こえはいいが、見えないところの生き方も肝心だと、ススキに教えられるこの頃である。
8〜11月
全国 |