奈良県(五條市)と和歌山県(橋本市)の県境を流れる落合川は、万葉人が渡ったとされる飛び越え石が有名である。しかし、その数キロ上流に
は、江戸時代のガイドブック『紀伊国名所図会』(1838年刊)で「落合不動」として紹介されている磨崖碑があるが、さほど知られていない。。
地図を広げると、京奈和自動車道と落合川が交差する付近は、橋本市隅田町真土と五條市畑田町のそれぞれの集落が川を挟んで向かい合っている。現在、落合川に沿った道路は真土側に走っており、車を北上させるとやがて道路脇の祠や碑が目に入る。それらを目印に川へ目をやると、いくつもの巨石が積み重なっており、最も目につく巨石に不動三尊立像を見つけることができる。さらに目を凝らせば、やがていくつもの文字や絵がそれぞれの石の顔たる面に浮かび上がってくる。これらは一度に彫られたものでなく、不動三尊立像などは鎌倉〜室町時代の作とされ、新しいもの
には昭和に彫られたものもある。
『真土の歴史』中井繁信著によると、昭和の初め頃、自称京都出身の佐々木某という旅の僧侶がこの地を訪れ、付近に庵を建てて托鉢をしながら村人とも交流し、その後20年の間に天女や梵字、歌などを彫ったと伝えている。
『紀州名所図会』の挿絵では、幾重もの滝が九十九折りとなり大きな渕に流れ込み、この渕の奥正面に不動三尊立像の磨崖碑がある。さらに、この渕から再び滝が落ちており、景勝地としては見応えのあるものとして描かれている。
かつて、この落合滝があってこそ不動三尊立像が刻まれたのかもしれない。しかし、現在、大きな渕はいつしかの土石流で埋まってしま
ったと思われ、図会に描かれている「エボシ岩」や「大師井」は見当たらない。狭いながらも自動車が通行できる舗装道路も整備され、川や滝の風景は当時と一変したと言える。 |