Field Guide
                         くりんとのフィールドノート

           
   
 一目千本吉野山
中千本(如意輪寺周辺)

 吉野山のサクラは、シロヤマザクラという山桜。ソメイヨシノはクローン桜だから、一斉に咲いて一斉に散るが、ヤマザクラは1本1本遺伝子が異なるから、それぞれ花の色や満開の時期が異なる。公園の春を彩る華やかなソメイヨシノの場合、1〜2週間ほどで見頃が終わってしまうのに対して、1本1本個性をもった山桜は、山全体を見たとき、1ヶ月近くにわたって楽しむことができる。吉野山の場合、標高があがるにつれて下千本、中千本、上千本、奥千本と呼び名を変え、桜前線も徐々に登っていく。

蔵王堂(花矢倉より)

 では、吉野山がなぜ桜の名所となったのか。全国の桜の名所が観光目的で人工的に造られたのに対して、吉野山の場合、宗教や信仰と密接にかかわっている。今から約1300年前、修験道の開祖と呼ばれる役小角(役行者)は、難行苦行の果てに蔵王権現を感得した。その尊像こそ濁世の民衆を救うものだとして、桜の木に刻み、これを山上ヶ岳と吉野山に祀ったとされる。これ以降、桜の木は吉野山において御神木とされ、献木という行為によって植え続けられてきた。したがって、一山がピンク色に染まる様は、厳密にいえば人間の手によって保護され、植樹と手入れによって維持されてきた結果と言えるが、宗教的な行為によって守られたこの地に自生するヤマザクラというわけである。

上千本(吉水神社より)

 吉野山の花見と言えば、秀吉が、絶頂の勢力を誇った1594年、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将をはじめ、茶人、連歌師たちを伴い、総勢5千人の供ぞろえで吉野山を訪れたのが有名である。その様は、『豊太閤吉野花見図屏風』(細見美術館所蔵)にうかがい知ることができる。この年の吉野は長雨に祟られ、3日間降り続いた雨に苛立った秀吉は、「雨が止まなければ吉野山に火をかけて即刻下山する」と同行していた僧たちに脅したという。祈祷が功を奏したのか、前日までの雨が嘘のように晴れ上がり、吉野山の桜は難を逃れたという話も残る。
 秀吉の花見の本陣は、義経や後醍醐天皇にゆかりの深い吉水神社においたとされるが、 ここから中・上千本を見上げた様は、今なお「一目千本」と称されている。

下千本(七曲り付近)

 さて、花見シーズンともなると、奈良県民は吉野山行きの国道169号線の大渋滞を知っているだけに、おいそれと近寄りたくはなくなる。しかしながら、満開のピークと晴天と休日が重なるタイミングを見計らって行動できるという地の利もある。最近は、麓の駐車場と吉野山をシャトルバスでつなぐPark & Ride方式が導入されており、こちらを早朝に利用すれば比較的スムーズに動くことができる。

 
 
   

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