Field Guide
                         くりんとのフィールドノート

           
   
 大峯山寺戸開式
護持院住職の乗った人馬が練りまわる

 山上ヶ岳山頂付近に位置する大峯山寺は、毎年、5月3日(午前3時〜)の戸開式から9月23日(午前3時〜)の戸閉式までの143日間、文字通り本堂の扉を開けられ、修験者入峰期間の幕開けとなる。
 かつて、この大峯山寺は「山上の蔵王堂」と呼ばれ、吉野山の蔵王堂と共に金峯山寺として総称された。しかし、1868年(明治元)発布の神仏分離令、さらには1872年(明治5)発布 の修験道廃止令などによって、修験道及びそれらの寺院は解体を余儀なくされる。その後、1886年(明治19)に金峯山寺は「天台宗修験派」として再興されるが、大峯山寺は別個の寺院となり、現在、当山派龍泉寺、本山派桜本坊、喜藏院、竹林院、東南院の護持院によって維持・管理されている。
 戸開式では、まず護持院の僧侶から信者代表の役講総代(岩・光明・三郷・京橋・鳥毛・両郷・井筒・五流)に、正面口、秘密口、ハカシ口の三つの鍵が手渡される 鍵渡し式が厳かに執り行われる。その後、鍵を受け取った役講の信者たちは人馬を組んで鍵持ちを乗せ、「ワッショイ、ワッショイ」という掛け声と共に、妙覚門の坂道を駆け上がる。当番の護持院住職も人馬に乗って同様に駆け上がり、本堂前の境内をいくつもの人馬が時計回りに何度も周回する。やがて、3つの入り口に辿り着き扉が開けられると、信者たちは堂内に我先となだれ込む。
 その年初めて、大峯山寺本尊の蔵王権現に祈りを捧げることは言うまでもないが、この日のお目当ては秘仏秘密行者尊の御開帳にある。

まず、午前3時から鍵渡し式
 戸開式と戸閉式の年に2度、標高1719mの山上ヶ岳山頂付近で、このように荘厳な宗教儀式が行われていることは、奈良県民といえども知る人は少ないだろう。地方紙でもささやかな報道はあるものの、二月堂の修二会ほどメジャーではないし、女人禁制の聖地内で行われるゆえ か女性の関心も少ないと思われる。私自身、ずいぶん前から関心はあったものの、情報も少なく立ち会う方法がわからなかったので見送ってきたが、 この度、いくつかの手がかりを得て見学が実現した。
 清浄大橋付近駐車場に午後10時到着。広い駐車場に半分ぐらい車は埋まっていた。(駐車予定時間は翌朝までと12時間を切るが、日付をこすと2日分2000円ということであ る。)山頂までゆっくり登れば2時間半、午前1時前には宿坊周辺に到着した。この時間帯に山頂を目指す者は一般見学客が多く、戸開式に直接関わる修験者の方々は明るいうちに登り、儀式に備え て私たちが到着する頃には宿坊でお休みの最中である。
 そうした状況を前提に、静かに行動することで宿坊の1つの土間を借り休憩をとらせていただく。5月といえども、下界とは約10℃気温 が低くしかも未明とあっては、じっとしていると寒気も容赦なく攻撃してくる。年によっては積雪が見られるというから、ダウンジャケットなど防寒対策も必要である。
 さて、各宿坊では午前2時に一番鐘が打たれ信者たちが起き出す。二番鐘を合図に大峯山本堂寺務所の式場へ集合することになるが、平成28年度は桜本坊の宿坊が式場となっており、午前3時の三番鐘を合図に鍵渡し式が始まった。電気照明はすべて落とされ、蝋燭や提灯の灯りだけをたよりに、本堂を管理する護持院の僧侶から役講の代表に鍵を渡す儀式が執り行われ た。

そして戸開式、秘仏秘密行者尊の御開帳
  大峯山寺の境内で待っていると、いよいよ鍵持ちを乗せた人馬が「ワッショイ、ワッショイ」と声高らかにやって来る。私の位置取りが良かったのか悪かったのか、いくつもの人馬がぐるぐる回る中心から見学することになる。
 さて、大峯山寺本堂の戸が開けられると、信者を始め一般客も我先にと狭い格子戸の入口にとりつく。しかし、時間内であれば希望者全員の内陣入場が許されるので、慌てる必要はない。一方、この秘仏公開と並行して境内では護摩が焚かれるので、内陣での参拝に手間取っていると 、護摩の方は終わってしまっているかもしれない。秘仏は2体あり、一つは若い頃、もう一つは歳老いて役行者自ら彫ったとされている。前者は即身成仏したような風格があり、 私自身、これまで見たどの役行者像より魅せられた。
 一連の儀式が終わり、余韻を楽しむかのように人影のまばらになった境内に残っていると、この日は、本堂の屋根の上に西行さんが好んだような美しい三日月がのぼり、漆黒の空を照らす。東の空も徐々に白み始め、龍泉寺宿坊前まで降りてくると十名ほどの参拝者がご来光を待っていた。午前5時4分、その瞬間に新たな気持ちで手を合わせる。

 
山門に役講総代の提灯が並ぶ  
 
戸が開けられ我先にとなだれ込む   境内では護摩が焚かれている
 
 
   

 
   

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